アジアの独立を支援していた戦前の日本 | 人差し指のブログ

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『こうして、2016年、「日本の時代」が本格的に始まった!』

日下公人(くさか きみんど 1930~)

ワック株式会社 2016年2月発行・より

 

 

日本がアジアの独立を支援していた証拠はいくつも残っている。

 

 

戦時中に同盟通信という通信社があった。

同盟通信から分かれて、戦後には共同通信と時事通信になっている。

 

 

戦時中にジャカルタに派遣されていた同盟通信の人から話を聞いたことがある。

 

 

彼は外国語放送を聞いていたので、終戦間際に 「まもなく日本は降伏する」 ということが分かっていた。

 

 

敗戦を目前にして、現地の日本軍はスカルノ(のちのインドネシア初代大統領)たちを集めた。

 

 

スカルノはいわばゲリラの親分だったが、スカルノに対してかれは、

「日本はまもなく降伏するから、降伏したらすぐに独立宣言をしろ」 と勧めた。

 

 

 

軍の幹部も、「我々はまもなく引き揚げる。武器弾薬をみんな置いていくから、すぐに独立宣言をしろ。我々が引き揚げたあとに大切なのは、独立する気持ちと君たちの軍隊だ」 と言ったそうだ。

 

 

現地の少年たちに対して、日本軍は事前に軍事教練をしていた。

兵隊の下の補欠という意味で 「兵補(へいほ)」 という資格を与えて、日本軍の補助部隊にしていた。

 

 

きちんとした訓練をさせていたから、独立後も重要な戦力になる。

 

 

兵補たちに 「武器弾薬はみんな置いていくから、オレたちが負けて引き揚げたあとも、おまえらは戦え、オランダ人がやってきたら独立のために戦え」 と言った。

 

 

そうすると彼らは、「言っていることは分かるが、戦争はどうするのか分かりません」 と答えた。

 

 

日本の兵隊のなかには、「分かった、それじゃあオレはここな残って、独立軍の指揮官か手伝いになる。 日本に帰ってもどうせ焼け野原だ。 おまえたちのために命を捨てても惜しくない」 という人がたくさんいた。

 

 

この話から分かるように、戦後も日本軍は彼らの独立を支援するために戦っていたのであって、侵略する気などまったくなかった。

 

 

法律的に見ても、侵略ではなく、独立を支援することが決まっていた。

 

 

日本は開戦前の昭和16年春に、『南方軍政要領』 というものを御前会議(ごぜんかいぎ)を開いて決定している。

 

 

当面は軍政を布(し)くが、日本の占領は暫定的(ざんていてき)なものであり、

将来は独立させると書いてある。

 

 

 

その 『軍政要領』 は、マレー、ビルマ、インドネシア、フィリピンのこ国別に、国情に応じて異なった要領になっている。

 

 

軍政は軍人が直接やるものではない。

当初は軍人が入っていって治安回復をするが、治安が回復した時点で、

軍属の民間人が派遣されて独立のための準備をする。

 

 

軍属は、軍人でも純粋な民間人でもない中間的な存在で、

資源開発でも産業振興でもする。 それから行政や裁判もした。

 

 

光が丘 四季の香ローズガーデン(東京・練馬)にて11月5日撮影