「好きこそ物の上手なれ・谷沢永一対談集」
谷沢永一 (たにざわ えいいち 1929~2011)
株式会社新都心文化センター 1987年8月発行・より
<谷沢> ところで大石先生、近世は資料が余りにも豊富すぎて、
それが研究者泣かせになっている面もありますね。
<大石慎三郎> 私、いつか計算してみたのですが。
信長が京都入りする戦国末期の段階までに日本に あった文献資料と、
江戸時代の一つの村 戸籍四十軒くらいが平均ですが が二百七十年間に記録した史料が、ほぼ同じ量なのです。
そういう点で江戸時代は、その前の時代と決定的に違います。
それだけの庶民の読み書き能力、また紙の生産量をとっても。
<谷沢> さきほどのお話ですと、村が六万三千倍・・・・・・。
<大石> それ以外に、幕府、諸藩、商家等の記録文書がありますからね。
だから同じ日本史家といっても、江戸時代をやる研究者は、
古代、中世史家とは全く違います。
さきほど話に出た中世史家が 「中世には自由があった」 と発言された真意は推察するほかありませんが、
(人差し指 前のほうのページで
<谷沢> ある著名な歴史家が、中世史専攻の動機を聞かれて 「中世までは日本にも自由があったから」と答えていました。 と出ていました )
中世は行政が庶民をつかまえる能力が低かった、とはいえますね。
また、日本人が神仏から自由になったのは江戸時代です。
人間が自立したといえるでしょう。
文学をとってみても人間の文学ですね。
<谷沢> それも日本の近代化の秘密ですね。
西欧の歴史を見ても、最近のホメイニ師のイランをとっても、宗教は近代化にブレーキをかける要因ですから。
*『バンガード』昭和58年11月号
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影