『江戸の智恵 「三方良し」 で日本は復活する』
養老孟司(ようろう たけし)・徳川恒孝(とくがわ つねなり)
株式会社PHP研究所 2010年9月発行・より
<養老> 社会のルールにしろ、言葉の問題にしろ、いまの社会は
「何が真っ当な話なのか」 を理解できなくなっていると思う。
そのよい例が 「談合」 です。
最近は 「談合はフェアではない」 という批判が聞こえますが、日本では江戸の昔から、「話し合い」 という名の談合を繰り返してきました。
そのルールが、じつに複雑で面白い。
たとえば、ある組合が集まって競りを行うとします。
競りの参加者たちがつけた値段が座長のもとに集められますが、最高額をつけた人には落札させない。
二番目に高い値段をつけた参加者が商品を落札し、落札額は必ず公開されます。
すると今度は、それでも手に入れたいという人と、落札者とのあいだで話し合いがもたれる仕組みだったそうです。
一番高い値段をつけた人が落札すれば 「お金さえあれば何でも買える」
ということになり、道義上、収まりがつかない。
業界や社会全体のことを考えながら、親分の権限で手心を加えたわけです。
売り手、買い手、そして世間が納得する商売という意味で、これは江戸時代の 「三方良し」 に通じるところがあります。
<徳川> 江戸の智恵の面目躍如ですね。
<養老> このような日本の 「談合」 文化は複雑すぎる、つまり上手にできすぎているので、外国人には理解できなかった。
アメリカが求める規制緩和も、本音は 「うちの企業が入れないので談合をするな」 という話です。
われわれ日本人の目からイギリスのオークションを見ますと、「ずいぶん乱暴なことをしている」 という印象をもちます。
競売でライバルを黙らせるため、ひたすら札束を張りつづけるというオークションは、一握りの人しか勝者になれません。
それでは 「三方良し」 にならない。
こういう社会では何か問題が起きそうだ、ということは、直感で何となくおわかりでしょう。
庶民が明日の飯にも事欠くのに、あるところではお金をドブに捨てろように費やしているのだから、どこかでかならず軋轢が生じます。
5月18日 光が丘公園(東京・練馬)にて撮影