『江戸の智恵 「三方良し」で日本は復活する』
養老孟司(ようろう たけし)・徳川恒孝(とくがわ つねなり)
株式会社PHP研究所 2010年9月発行・より
<養老> 徳川さんがおっしゃったように、江戸時代には管理職を極力減らし、民に自由にさせていたから、社会的コストが安く済んでいた。
それから、江戸の町民が安心して暮らせた理由の一つに、御蔵米を常時用意しておき、凶作のときでも、将軍様のお膝元で騒動が起こらないようにしていたことがあると思うんです。
東北あたりは飢饉で大変なことになりましたが、江戸は大丈夫でしたから。
<徳川> 天明(1781~89年)の飢饉のあと、東北地方の各藩は財政を犠牲にしてでも、だいたい一年分の緊急米積み立てを行っています。
それからもう一つ、飢饉では現在に伝えられているほど多くの人は死んでいない。
幕府への報告は過剰だったという説もあるんです。
<養老> どこかの国の政府発表のようですね(笑)。
<徳川> ある方が最近調べたところでは、ある飢饉で一番死者が多かったという藩では、飢餓が発生した翌年も翌々年も、ほとんど人口が減少していなかったというのです。
当時の幕府も、おそらく、そのことはわかったうえで、「大変だったね」 といって参勤交代を免除したり、米を送ったりしていたのではないか、とその方は書いておられますが、本当のところはよくわかりません。
<養老> 「江戸時代に奉られた文章の多くは陳情書だから、そこに書かれている数字を信じてはいけない」 という話を聞いたことがあります。
誰しも、お金をもらおうとするときは、陳情書に損害や被害を強調して書くわけで、それはいまでも同じだというのです。
5月7日 光が丘 四季の香公園(東京・練馬)にて撮影