「どもり」と「外務官僚の年金」 | 人差し指のブログ

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パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

 

少し話が脇にそれますが、実は私は小学校二年生以来、激しいどもりに悩まされてきました。

 

 

昔の私のことを知っている人は、私のことを 「あのどもりの人ですか」 と言うと思います。

 

 

先に述べたように、小学校二年のときに、御殿山の家に引っ越したため、それまでの大井の小学校から、白金小学校に通うようになりました。

 

 

 

転校先ですぐに級長にさせられ、「起立、着席」 の号令がどもってしまいました。

 

みんなに笑われて以来、ますますひどくなりました。

 

 

壮大な家から引っ越して、名門小学校に転校になり、その途端に級長というのは、子供心にかなりの精神的ストレスだったのだと思います。

 

 

 

それが外務省の課長時代に、すとんと、どもりがなくなりました。

 

 

課長時代に、当時の下田武三事務次官(後に駐米大使)が、ほかの官庁の職員はやがて天下りしなければならないから、民間企業の機嫌をとったりしなければならない。

 

ところが外務官僚というのは飼い殺しなのだ、という訓話をしました。

 

 

 

つまり、キャリアの外交官は皆大使にまでなり、六十歳過ぎまで勤めます。

しかも、当時の年金システムには天井がありませんでした。

 

 

 

長く役所にいればいるほど、最後のポストが高ければ高いほど年金は高いから、外務省出身者だけは特別に年金が高かったのです。

 

 

だから 「おまえたちはいい年金をもらえるから、ウロチョロしないで、お国のことだけ考えていろ」 と話したのです。

 

 

それで何か妙に私の胸に響きました。

 

 

戦後の貧乏が染みついて、将来についてもお金のことが深層心理で心配だったのだと思いますが、それから後はお国のことだけ考えることに決めました。

 

そうしたら、どもりが直ったのです。

 

 

もっとも、私は下田さんにだまされました。その後、年金制度が変わり天井をつけたので、長くいればいるだけ、位が高ければ高いほど年金は多額になる、ということはなくなったからです。

 

 

「国際情勢判断・半世紀」

岡崎久彦 (おかざき ひさひこ 1930~2014)

株式会社育鵬社 2015年4月発行・より

 

 

4月22日 光が丘 夏の雲公園つばき園(東京・練馬)にて撮影