地震の翌日の三月十二日午前、私は自動車のガソリンを満タンにして東京に戻った。
(略)
私は横浜横須賀道路と第三京浜道路を通って帰宅したのだが、道路の状況に関する情報は殆んどなかった。
行く所まで行って、だめなら一般道路を行くつもりだったが、朝早く電気は通じていたので、途中で止められた時のことを考え、私は梅干し入りの握り飯も携行していた。
非常時用の握り飯は必ず梅干しを入れなければならない。
私たちはお握りというものを非常に好きだが、基本的にはパンなどと比べて腐敗し易いものであることはあまり知られていないようである。
ことに少し温かいうちにラップに包んだお握りは危険だ。
私はかつて握り飯の腐敗に関して、人体実験の一部になったことがある。
数人の人々が梅干し入りと塩昆布入りの握り飯を、調理後かなり時間を経てから食べたのである。
塩昆布入りの握り飯を食べた人は全員中毒になった。
症状は食べた個数に正確に比例していた。
一個しか食べなかった私は、胸がちょっとむかむかする程度で済んだが、二個食べた人は下痢をし、三個食べた人は病院に収容された。
梅干し入りの握り飯を食べたグループは三個食べた大食いでも全く当たらなかった。
被災地に配る握り飯は扱い方によっては危険を孕(はら)んでいるはずであった。
「揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録」
曽野綾子 (その あやこ 1931~)
株式会社 扶桑社 2011年9月発行・より
4月12日 光が丘(東京・練馬)にて撮影