「歴史のおしえ」
童門冬二(どうもん ふゆじ 1927~)
毎日新聞社 2012年10月発行・より
<松平定知> 人生の機微を描いた作家に山本周五郎(1903~1967 代表作に『樅ノ木は残った』 など)がいますが、生前ご親交があったと聞きました。
印象に残るエピソードはございますか。
<童門> 東京都庁に勤めながら文学修業をしていたころの話ですから、ずっと昔のことです。
ある時、山本周五郎さんから葉書が来たんですよ、「来ないか」 と
友人に相談すると、「どこかでおまえの作品を読んで、感ずるところがあったんじゃないか」 というので、横浜の仕事場を訪ねたことがあります。
編集者が何人かいて 「ちょっと待ってろ」 と待たされたのが二時間か三時間。
はじめて周五郎さんのお宅へうかがって 「トイレを貸してください」 とは言えないし、ひたすら我慢した。
やっと打ち合わせが終わって、裏へちょっと、という話になった。
当時、周五郎さんのすぐ近くには海が広がっていました。
潮干狩りしようとおっしゃるんですね。ところが、もう潮が満ちていた。
<松平> 三時間待って、今度は潮干狩りですか。
<童門> 周五郎さんは平気でステテコ一つになって足の先でハマグリを探している。
「君も入ってやれ」 と言うので始めたんです。
けれども、海の水が生温かったものですから、三時間の我慢が限界に達したわけですね。
こちらの意変に気づいて、周五郎さんは 「何だ?」 と。
「ちょっと・・・・・いたしました」 と答えると、「浜へ上がれ」 と言って。正座させられた。
そして、「おまえの文学というのはそんなものなのか。三時間も我慢できなくて、海でしょんべんしちゃうような、そんな文学か」 と。
冷やっとしました。
でも、こう続けられた。「・・・・・・・というのは建前で、これから本牧のほうに飲みに行こう。我慢させて悪かったな」 と。
<松平> 短編小説のような展開ですね。
<童門> 僕はその時、周五郎さんから 「これでオシマイ」 と言われると覚悟した。
しかし、すんでのところで、かわしてくれたわけです。
4月10日半蔵門(東京・千代田区)付近にて撮影、濠の向こう側は皇居