陛下の心を知って東条が一週間ぐらいは、平和、平和、なんとかアメリカと話をまとめろと言って歩いた。
しかし、なかなか進まなかったところへ 「ハル・ノート」 が出た。
余談で言えば、ハルさんというのは、そんなに悪い人ではなく、実際にこれを書いたのはハリー・ホワイト財務次官補というソ連のスパイらしい。
つまりソ連のスパイが、アメリカ政府の中にいて、日本がカッとなって立ち上がるようなことを書いた。
ルーズベルトは 「それもよかろう。立ち上がってくれたらちょうどいい」 と思い、そのワナに日本ははまったのである。
これについて山本七平さんが戦後書いているのは、「ハル・ノートをもっとよく読め」 「何も絶望して戦争を始めることはない。文章を読む力がないのか」 ということだった。
文章を読む力の前に、日本人には心がある。
日本人の心は穏かで、こんなことを言われるとは心外であるとか、
こんなことを言うなら相手はよほど邪悪な心を持っているに違いないとか、
日本人はすぐそういうふうに考える。
しかし、ここでもう少しリテラシーの幅がある、山本七平さんのような、
半分はユダヤ人のような人が読めば、「まだ逃げ道がいっぱいある。
何もここで、すぐカッカすることはない」 と読むことができる。
ハル・ノートには 「中国から兵隊を全部引け」 と書いてある。
今まで交渉してきた中に、そんな話はない。
日本からお願いしているのは、石油を売ってくれ、鉄を売ってくれ、
そのためにはこのぐらい譲りましょう、という話を押したり引いたりしているうちに、いきなりハル・ノートが来て、中国から全面撤兵せよと書いてある。
それで 「アメリカは話をまとめる気はないんだ」 と即断した。
しかし山本七平さんは 「そんなことはない。いつまでに撤兵をせよと書いてないじゃないか。いつまでに全部兵を引き揚げろという、’期日が書いてない’のは、中身がないのと一緒である。こんなことはユダヤ人なら常識だ(笑)日本人はまじめだから」 と書いていた。
それはその通りなのである。ハル・ノートには、「はいはい、承知しました」 と言ってもよかった。
約束しますと言って、やっているフリだけすればいい。
なんと言っても、中国は広いところだから、奥地のほうから少しずつ引き揚げてきて、港へ全部集まるまでには、まあ一年か二年はかかる。
それでいいんだという話である。
あるいは、満州から引き揚げろとは書いてない。
中国から撤兵せよと書いてあるが、満州からも撤兵せよとは書いてない。
「そういうことを気がつかないとは単純すぎる」
と山本さんは書いていたが、そういった種類の国語力のある人が、今でも相変わらずいないのは困ったことである。
こんなことでは、国際社会を生きてはいけない。
というわけで、もし東条さんに国際水準の国語力があれば、ハル・ノートをもらっても別に絶望しないで 「よかった。これでまた一年ぐらい時間稼
ぎができる」 と思っただろう。
大御心は平和なのだから、なにも慌ててやけっぱちの戦争をしなくてもよかったのである。
ともあれ、そんな政府の思い込みもあって、十二月八日に戦争を始めてしまった。
「独走する日本 精神から見た現在と未来」
日下公人(くさか きみんど 昭和五年~)
2007年11月PHPファクトリー・パブリッシング発行・より
千鳥が淵(東京・千代田区)にて4月10日撮影