「天下取り」は織田信長の発明 | 人差し指のブログ

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このことはれっきとした歴史学者の先生の中にも誤解している人がいるのですが、実は、戦国大名はみんながみんな天下取りを狙って戦っていたわけではないのです。

 

 

 

確かに、戦国時代はいろいろな大名がしのぎを削る群雄割拠の世の中でした。

 

 

それは間違いのない事実です。あちこちで下剋上があり、うかうかしていると、すぐに領土を侵略されてしまいます。

 

 

 

しかし、だからといって、みんなが天下を目指していたかというと、決してそんなことはなかったと私は思います。

 

 

 

信長以外の戦国大名は、自分の領土を広げることを目的とした、あくまでも地域戦、私戦なのです。

 

 

 

このように言うと、「でも、織田信長は天下を目指したし、信長亡き後は、秀吉と家康が天下人の座を争ったじゃないか」 と言う人がいます。

 

 

 

そうなのです。実は、多くの人が誤解してしまった最大の原因は、信長が天下取りを目指し、ほぼそれを成し遂げてしまったからなのです。

 

 

 

人間というのは、一度誰かができてしまったことは、「きっと他のみんなも同じことを考えていたんだろう」 と思ってしまうものです。

 

 

 

だから、信長や秀吉の姿を見て、きっと他の大名もみんな天下を目指していたに違いない、と思ってしまったのですが、それは大きな誤解です。

 

 

 

特に、信長以前の戦国大名は、おそらく 「天下」 など考えたこともなかったと思います。

 

 

 

「天下取り」 というのは、織田信長の発明なのです。

 

 

 

ですから信長以前の戦国大名たち、たとえば北条早雲(ほうじょう そううん)や斎藤道三(どうさん)、今川義元(よしもと)などは、天下など考えていませんでした。

 

 

 

「学校では教えてくれない戦国史の授業」

井沢元彦(いざわ もとひこ 1954~)

株式会社PHPエディターズ・グループ 2015年9月発行・より

 

 

 

 

昨年12月6日 朝霞市内(埼玉)にて撮影