アメリカによる奴隷制の復活 | 人差し指のブログ

人差し指のブログ

パソコンが苦手な年金生活者です
本を読んで面白かったところを紹介します

 

 

 

「国家の盛衰   3000年の歴史に学ぶ」

渡部昇一/本村凌二

祥伝社 2014年9月発行・より

 

 

 

<渡部>    現代は農業でも建設業でも、電気やガソリンさえあれば、

相当程度、機械が仕事をしてくれます。

 

 

 

古代も機織(はたお)り機や簡単なクレーンなどがありましたが、

それを動かすのは奴隷です。

 

 

つまり、奴隷は、現代の石油や石炭に匹敵するエネルギーだったのです。

 

 

 

しかし、中世になると奴隷制は消えていきます。

 

 

それを大規模に復活させたのは1600年代にイギリスからバージニア植民地に入植した、のちにアメリカ人と言われる人々です。

 

 

そして、奴隷制は1865年に廃止されるまで200年以上続き、

1860年のアメリカの国勢調査によれば、奴隷人口はおよそ400万人に達(たっ)していました。

 

 

 

では、なぜアメリカで奴隷制が復活したのでしょうか。

 

 

それは、アメリカがイギリス国教会の改革を唱えたピューリタン(清教徒)によって建国されたから、とされています。

 

 

 

ピューリタンは、マルティン・ルター(1483~1546)による1517年の宗教改革後、ローマ教皇庁を中心とするカトリック(旧教)から分かれたプロテスタント(新教)に属します。

 

 

したがって、カトリックの中世を理解できないのです。

 

 

彼らが理想としたのは、中世を跳(と)びこえてギリシャ、ローマなどの古代国家です。

 

 

中世は、彼らにとって 「暗黒時代」 と思われていたのです。

 

 

このため、建築物もローマ帝国を模(も)し、中世のゴシック建築物のように尖(とが)ったものを造ることはありませんでした。

 

 

また、政治システムは古代のアテナイやローマを模範としています。

 

 

そして、ローマの奴隷制に倣(なら)い、アフリカから黒人を大量に輸入し、奴隷としたのです。

 

 

その結果、黒人奴隷は広大な綿花(めんか)畑を有する、アメリカ南部を中心に増加していきました。

 

 

また、鉄道建設などの重労働のために、中国から苦力(クーリー)という奴隷を輸入したのです。

 

 

つまり、アメリカを近代の帝国と定義するのであれば、

その興隆を支えるエネルギーとして、黒人やクーリーなどの奴隷が重要な役割を担っていた、と言えるでしょう。

 

 

 

11月18日青葉台公園(埼玉・朝霞)にて撮影