「歴史認識」 とはあまり感じのよくないことばだが、意味はわかる。
歴史事実やそれについての知識ではなく、それをどう見るか、どう評価するかということである。
キリシタン禁制をどう見るか、田沼時代をどう見るか、というようなことだ。
したがって 「正しい歴史認識」 なんてものはない。
歴史の見かたは、それぞれの研究者ないし歴史を見る者が、歴史事実をよくしらべ、
またそれを歴史の文脈のなかにおいて構築するものである。
もっとも、中国(中華人民共和国)には 「正しい歴史認識」 がある。
この国では、歴史に対する評価は中国共産党が一手に決めることになっているからである。
たとえば文革の一時期、武則天(日本でいう則天武后)は偉大な女帝であった、
と共産党が言っていれば、、それが正しい歴史認識である。
武則天は偉大でない、などと言う者があったらすぐ殺される。
そのうち風向きがかわって、武則天は悪い女だった、
と共産党が言い出したら、これが正しい歴史認識である。
武則天は立派な人だった、などと言ったら命がない。
これは、中国では昔から歴史を現在のアナロジーとして語る習慣があり、
共産党はその伝統を厳密に踏襲しているからである。
武則天が偉大なのは江青が権力をにぎっている時であり、
悪い女になるのは党内でクーデターがあって江青が失脚した時なのである。
その時に 「江青は立派な人だった」 と言うのは、
共産党の現権力者に対して異を立てることになるわけだ。
「お言葉ですが・・・・❻ イチレツランパン破裂して」
高島俊男(たかしま としお 1937~)
株式会社文芸春秋 2002年6月発行・より
8月5日 中央公園(埼玉・朝霞)にて撮影