「好きこそ物の上手なれ 谷沢永一対談集」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
株式会社新都心文化センター 1987年7月発行・より
<谷沢> 民俗学の柳田國男が 内閣法制局長官かなにかの時、島崎藤村が 「自分の兄をどこかに世話してほしい」と、 紹介状を持たせて寄越したら、怒って絶交してしまった、という話があります。
それまで、二人は文学仲間で親しかったのです。
今でも よく歌われる藤村の 「椰子の実」も、 柳田國男が伊良子岬の浜辺に打ち上げられた様子を見、 その話を聞いた藤村が詩心を かきたてられて出来たということですから。
柳田は、公(おおやけ)の領域に、そんな形で踏みこんで きたのは許せない、と怒ったようですが、とにかく もの凄い話ですね。
<竹内宏> それは極端な例でしょうね。儒教だけでは説明がつかない。西洋というかキリスト教の影響もあるのではないですか。
韓国では、たとえば家を建てる金を調達する時、まず親兄弟からはじめ、せっぱつまって銀行にゆく。
いまの日本はその逆ですね。だから、韓国の人は「日本人はなんて冷たいんだろう」と言います。
どちらがいい社会なのか、よくわかりませんが、とにかく、日本はいろいろな要素が適当にまじっているところがよいのではないか、というところに落ち着きます。
光が丘公園(東京・練馬)2月21日撮影