「貫禄がある」という「演技」 | 人差し指のブログ

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「人格」の他に「侠気(きょうき)」「腹が据わっている」「大立者」なども、全くよろしくない言葉です。

内容をじっくり考えてみると、全部美しく飾られた一つの幻に過ぎない。フィクションなのです。

清水の次郎長だって怖い時は怖い。けれども、怖いという動作のタイミングを少し遅らせることで、親分の威厳を保つ。

すぐに慌てるか、ちょっとしばらく様子を見るか。一歩の差は百歩の差と言いますが、それぐらい違うわけです。

世界中の暴力団のトップにしても、平素から鍛えられて工夫をしているから、いかにも腹の据わった大物に見えるだけのことです。

  日本は昔から家元制度の国ですが、茶道、華道、何処(どこ)の家元もみんな堂々として立派に見えます。

あれは四百年かけて磨かれた立ち居振る舞いの巧みさのおかげです。

時々は天才があらわれるにしても、たいがいの場合、家元がその芸能で一番の上手というわけではありません。

しかし、演技力で頂点に君臨しているのです。


「貫禄」というものも昔から人を脅かす手立てであり、幻影の一つです。

社長が急に体調を崩したので引退させ、次期社長を立てなければならないという時、候補に挙がる人に対して、みんなが二言目(ふたことめ)に言うことは「あれはまだ貫禄がない」。だから、駄目というわけです。

これは『坂の上の雲』(文春文庫)に出てくる一場面ですが、桂太郎が首相になった時、ある人が西郷従道(つぐみち)に「あの人は貫禄がない」と言ったら、

西郷が答えて曰く「貫禄なんぞは、大礼服を着せて何頭立ての馬車に乗せて何度か往復させると、もうそれだけでつくものでごわす。それだけのものでごわす」

 まさにその通りで、貫禄など、たちまち身につく程度の生活習慣です。

逆に言えば、その地位から蹴落とされると、地金が出て元の木阿弥になります。

貫禄をつけようと一生懸命努力する乃木希典(まれすけ)タイプと黙って貫禄を示そうとした東郷平八郎タイプと、いろいろバラエティはありますが、

要するにこれもまたすべて演技です。そして、その演技をちゃんと教える参謀を持っている者が成功するのです。

「疲れない生き方」
谷沢永一(たにざわ えいいち 1929~2011)
PHP研究所2007年10月発行・より

光が丘公園(東京・練馬)1月28日撮影

光が丘公園