昭和二十年六月五日 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します


   
鳥居民さんの『昭和二十年』は前々からの愛読書で、私は鳥居民さんのファンなんですね。

実は亡くなった向井敏さんから、鳥居さんの本はぜひ読むべきだと教えられて、いろいろ読んでいるんです。

なかでもこの『昭和二十年』という大作はたいへん面白い本ですが、あんまり世間には知られてないようなので、大いに宣伝したいという気持ちがあります。
(略)
この『昭和二十年』がどういう方法で書かれているかということをちょっと申し上げます。

ギボンの『ローマ帝国衰亡史』や山陽の『日本外史』と並べましたけれど、書き方はこの二つと違っていて表面的に言えば扱うのは一年間だけなんです。

昭和二十年(一九四五年)に焦点を当てている。つまり敗戦の年の歴史です。
(略)
もうひとつ実例を挙げましょう。この同時性を多用した書き方が最も物語的というか、小説的というのか、効果を上げているのは、六月五日の話です。

この日東京は快晴ですが、午前七時過ぎ、ラジオは神戸空襲を告げました。

五百機がやってきたんです。で、朝刊、と言っても朝刊しかないんですが、ペラ一枚の朝日新聞の表のページに「戦敗ドイツの実相」「戦争の真理は結末にあり」という、ベルリン特派員守山義雄記者がシベリアの車中で書いた署名記事が載っています。

これを元外務大臣有田八郎が読み、ハサミで切り抜きをします。

志賀直哉も読み、どうしてこんな記事が検閲を通ったんだろうと考えます。

陸軍省の軍務課長は課員が差し出した朝日新聞を読んで、顔をしかめます。

枢密顧問官の南弘は日本倶楽部の図書室で読みます。

石橋湛山(たんざん)は秋田の横手に疎開中なんですが、これを読み、よくぞ書いてくれた、これを利用して自分の主宰している東洋経済新報に「奇蹟は遂に現れず」というのを書こうと思います。

守山記者の妻、輝子は岐阜郊外で読み、夫が無事であることを喜んで手を合わせます。ここのとこ、いいですね。

「おっとりと論じよう 丸谷才一対談集」
丸谷才一(まるや さいいち 1925~2012)
株式会社文芸春秋 二〇〇五年十一月発行・より

エリカの花 新座緑道(埼玉・新座市)12月31日撮影

エリカ 新座緑道