日本を追われたイエズス会~その後 | 人差し指のブログ

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本を読んで面白かったところを紹介します


古来、西洋による世界侵略の尖兵はキリスト教だった。

とくにカトリックのイエズス会は大きな役割を果たし、布教する先々で信者に土地を寄進させたり、人身売買を行ったりしている。

日本でも、キリシタン大名の大村純忠は領内の長崎港周辺をイエズス会に寄進しているし、ポルトガル人によって多くの日本の女性が奴隷として外国に売り飛ばされている。

こうしたカトリックの危険性を察知した豊臣秀吉は伴天連(バテレン)追放令を発し、徳川幕府はプロテスタントのオランダ以外との国交を断った。

江戸初期の島原の乱のとき、オランダ商館長は長崎奉行に依頼されて、キリシタンらの一揆軍が立て籠もる原城に艦砲射撃を加えている。

「南蛮人が、われらキリスト教徒を助けるために必ず来てくれる」と信じていた一揆軍は、南蛮船から砲撃されたことに絶望したという。

だが、プロテスタントのオランダは、カトリック教を攻撃することには何の躊躇(ためら)いもなかった。


こうして日本を追われたイエズス会は中国での活動に力を入れた。

孤児を助けて洗礼を受けさせたり、病院を建てて衛生状態の改善を指導したりしながら、営々と布教に励み信者を増やそうとしたが、なかなかうまくいかない。

白人居留地や教会の襲撃事件も起こる。

押しかけてくる暴徒を見れば、先頭に立っているのは孤児から育てて、喜んで洗礼を受けた男だったりする。

「この白人夫婦はわれわれの魂をとろうとしている」と叫んでいる。宣教師たちはずいぶん苦労したようである。

中国での布教活動に行き詰まり悩んだ挙句、ある宣教師はすでに開国していた日本への転勤を願い出た。

こうして上智大学にやってきた神父が驚いた。「中国では、われわれの教えはすべて無駄だった。そこで日本に来てみると、われわれが教えるようなことをすべて(神の道に入ることは除いてだが)、日本人はやっている。みんな礼儀正しく、嘘をつかず、人には親切で、親切にされた人は恩返しをする。衛生状態は完壁だ、われわれが教えることは何もない」と。

これは上智大学の古い先生から聞いた話である。

「思考力の磨き方」
日下公人(くさか きみんど 1930~)
株式会社PHP研究所2012年4月発行・より

光が丘公園(東京・練馬)の紅葉 12月18日撮影

光が丘公園の紅葉