首里城の歓会門へ向かう石積み‥‥の上の方を見てください。
矢印あたりに石碑のようなものがあります。

草が生えていることが多く、普段はほとんどだれも気づきません。
年間200万人(コロナ禍で少し減ったか?)もの人が訪れる場所だし、ほぼここを通るのだけれど。
琉球時代の遺物?
実はこれ、「忠魂碑」というものです。
明治維新以後に日本のために戦死した人の鎮魂の碑です。
設置された年代は不明です(誰かご存知であればご教示願います)
明治維新の頃は、別の国(沖縄ではなくて琉球国)でしたので、ここの忠魂碑はもっと後。
ちなみに日本国の沖縄県となるのは1879年(明治12年)です。
沖縄に徴兵令が敷かれるのが1898年(明治31年)なのでそれ以降のこと考えられます。
1912年(明治45年)に首里城に首里尋常高等小学校が建てられたのでそのあたりなのかなと考えています。
首里城が小学校に?
はい。ちょっと面白いですね。
書かれている文字はわからないほどに風化していますが、戦死した沖縄人が刻まれていたのでしょう。