サマラン (帆走フリゲート) - Wikipedia

画像はWikipediaより
1844年琉球王国時代の八重山にやってきたイギリス船サラマン号です。
時代を見てわかる通り軍艦としてアヘン戦争に使用されました。
琉球(八重山)にもやって来ています。
エドワード・ベルチャー「サマラン号来航記」にはArakusikuと出てきます。
さかのぼること28年前にイギリス海軍のバジルホールらがやって来ているので琉球の古都はよく理解していたでしょう。

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1846年に日本(長崎)にむかいます。
それまで、「異国船打ち払い令」など強固な鎖国政策をひいていた江戸幕府ですが、アヘン戦争による清国の状況も伝わり、方向転換した「薪水給与令」天保13年(1842年)により補給を受けた。遭難した船に限るとされていたが、やはり当時の英国はジャイアンみたいに写った事でしょうね。
エドワード・ベルチャーは、宮古島での日記として、「偶像崇拝」を非難していますが、どうやらそれは「白澤」のようです。「中国の…神像」としていますので、少しは知識もあったことでしょう。その絵を祀ってあったと。これって、当時の琉球・宮古の信仰をとらえた重要な記録と思うのですが。
また絵を得意としていたエドワードは、白澤を写し取ったとあり、ちょっと探してみようかと思います。

ということで、明日は「ハート・オブ・ザ・リュウキュウズしまじまの芸能祭」(沖縄県文化振興課主催)で、新城島の民俗芸能「前の渡節」に会えるので楽しみにしております。
又報告します。

<参考>