ニュースで見ました。

脳死は人の死なのか。







白い病室。

たくさんの管を体に取り付けられ横たわる息子を見て、母親は言いました。

「どうしてこんなことに・・・」

医師は言いました。

「残念ですが、息子さんは脳死状態にあります。いつまで心臓がもつか・・・」

目を伏せて言う医師を、母親は赤い目で睨みつける。

「この子は生きてます。こんなにも温かいじゃありませんか。ほら、心臓だって動いてる!」

「・・・脳は、完全な回復は不可能でしょう」

母親は我が子の体に取り縋って、堰を切ったように泣き出した。

医師は無言で一礼し、病室を去った。




病室を出ると1人の男が医師のもとへ駆け寄って来た。

「先生お願いです。娘の手術をしてください」

「しかし、貴方の娘さんに条件が当てはまるドナーがまだ見つかっていません」

「何故ですか!?もう半年も待ってるんですよ!娘はまだ小さいのに、毎日苦しんでるんです!」

医師は悲しそうな顔をして、

「それは・・・私たちも分かっています。しかし、どの方も同じようにドナーを待っておられるのですよ」

「でも・・・、じゃぁ、一体いつになったらあの子は移植を受けられるんですか!」

「・・・それは・・・私たちには何とも・・・」

「どうして・・・どうして・・・」

男はその場に泣き崩れた。医師はただ男を見ているだけしかできなかった。










もし身内が臓器提供を待っていたとしたら、

脳死状態の人間から臓器が提供されるのを心待ちにしていることだろう。

毎日苦しむその人を見て、早く直してあげたい。

救ってあげたいと思うだろう。

脳が死んでいるのだから、死んでいるようなもの。

ならば、生きれる人のために臓器を提供すればいいじゃないかと思うだろう。

それが、人だ。


だが、もし身内が心肺が停止していない脳死状態になったらどうだろう。

脳は回復せずとも、体は温かく、心臓は鼓動を続けているのだ。

そして体は成長を続ける。

喋らずとも、微笑みかけてはくれずとも、その人は、生きているのだ。

私の名前を呼んでくれずとも、その人の心臓は動き続けているのだ。


私は、ぬくもりが消えるまで傍にいたい。


歩けなくても、笑わなくても、辛くても、

冷たくなるまで傍にいたい。

それが、小さな自分の子供なら尚更だ。

これだって、人の気持ちだ。








別に改正法案に反対なわけじゃない。

心臓移植で助かる命があるなら救って欲しい。


だけど、



自分の子供が温かいまま死んで、

どこかの知らない子供が元気よく走って、笑って、大きくなる。生きている。



それって少し、悲しい。




始まりましての1回目。

何やるかはあまり決めてません。

とりあえず言いたいことをゆるりと言っていけたらいいかな。



誰が読むかわからないブログだからこそ言えるものがある。



知らない誰かがお付き合いしてくれることを祈りつつ、

1回目のご挨拶とさせていただきます。