1泊2日 日間賀島・篠島・知多半島一人旅 2日目

 

 

2日目の午後はつぶて浦・野間埼灯台・恋の水神社と回ってきましたが、雨が降りそうで降らない天気。

 

 

 

 

雨が降ってきたら予定を変えるつもりでしたが、何とか持ちこたえているので予定通りに半田市へ。

 

 

半田市で立ち寄ったのが、半田赤レンガ建物です。

 

 

赤レンガの建物と「カブトビール」と書かれた広告塔。

 

明治31年(1898年)にカブトビールの製造⼯場として誕生しました。

 

 

明治期に建てられたレンガ建造物としては、⽇本で五本の指に⼊る規模なんだとか。

 

 

第二次世界大戦中は中島飛行機製作所の衣糧倉庫となり、戦後は日本食品化工(株)の工場として1994年まで使用されました。

 

その後、解体されることになりましたが、保存を望む多くの声に半田市が応えて買取り、2015年に常時公開の観光施設としてオープンしたそうです。

 

 

 

125年という歴史を感じます。

 

 

 

北側の壁には、米軍機による機銃掃射痕が残っています。

 

 

 

 

赤レンガ建物の中はカフェ&ビアホール、土産物店、常設展示室になっています。

 

 

 

ビアホールで1杯いきたいところですが、レンタカーなのでお土産に復刻カブトビールを購入しました。

 

 

 

 

 

 

常設展示室は有料(200円)です。

 

 

 

 

半田赤レンガ建物とカブトビールの歴史を学べます。

 

 

サッポロ・エビス・キリン・アサヒの4大ビールメーカーに挑戦した丸三ビール(のちにカブトビールに名称変更)

 

 

▼明治・大正期の広告ポスター

 

 

▼左から昭和・大正・明治期の瓶

 

明治期は王冠栓ではなくコルク栓だったようです。

 

 

 

カブトは漢字で書くと「加冨登」なんだね。

 

 

 

 

三ツ矢サイダー?

 

 

三ツ矢サイダーは現在、アサヒビールの子会社アサヒ飲料ですが、

 

大正10年に、加冨登麦酒株式会社が三ツ矢サイダーの帝国鉱泉株式会社と合併して日本麦酒鑛泉株式会社に。

 

昭和8年には、その日本麦酒鑛泉株式会社が、現在のアサヒビールとサッポロビールの前身の大日本麦酒株式会社と合併したそうです。

 

 

 

明治33年(1900年)のパリ万博で金牌を受賞し、大正9年まで右肩上がりで売れたカブトビール

 

 

昭和18年に半田工場(この赤レンガ建物)の閉鎖に伴いカブトビールの生産が終わりました。

 

 

カブトビールの生みの親は中埜酢店(ミツカン)4代目の中埜又左衛門です。

 

 

次に行くところとつながった。

 

 

ということでミツカン本社へ。

 

 

 

 

半田運河沿いにはミツカンマークがたくさん。

 

 

 

 

半田運河をゆっくりと散策するつもりでしたが、ここでとうとう雨が降ってきたので駐車場に戻りました。

 

つづく