1泊2日 三陸一人旅 2日目


気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館から南三陸町へ向かいました。

 

 

今回のレンタカー旅は岩手県宮古市からスタートして、山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市、宮城県気仙沼市と三陸沿岸自治体を回ってきました。

 

次の南三陸町が三陸沿岸最後の立ち寄り地になります。

 

気仙沼から南三陸町までは、まだレンタカーのナビに載っていなかった三陸自動車道(無料)を通って30分ほど。

 

まずは「南三陸さんさん商店街」から。

 

 

道の駅にもなっているので駐車場が広いです。

 

修学旅行と思われる中学生の乗った観光バスも停まっていました。

 

 

時間がなかったので商店街は雰囲気だけ。

 

 

何も食べず買わずですいません。

 

 

 
商店街から橋を渡ります。
 
 
 
立派な橋です。
 
サイドから眺めるとこんな感じ。
 
 
この橋は「中橋」
 
東日本大震災の津波で流されてしまいましたが、昨年10月に震災から9年7ヵ月の歳月を経て掛け替えられた「中橋」
 
隈研吾氏デザインで南三陸杉をふんだんに利用したウッドデッキの二重構造の橋です。
 
 
両岸を堤防で固められ、八幡川が流れています。
 

 

 

「こんにちは」

 

橋を渡っていると修学旅行と思われる中学生からの「こんにちは」でした。

 

見ず知らずのおっさんに、あいさつしてくれるなんて嬉しいね。

 

私も「こんにちは」

 

びっくりしたのが、二人三人だけでなく、私とすれ違った全ての生徒があいさつしてくれました。

 

素晴らしい。

感心するとともに、ほっこりした気持ちになりました。

 

 

中橋を渡ると南三陸町震災復興祈念公園です。

 

 

東日本大震災で壊滅的な被害を受けた南三陸町。

 

 

商店街に震災直後の写真がありました。

 

 

震災直後の写真では1階から3階まで見えていた防災対策庁舎。

 

現在は3階部分が見えるだけになっています。

 

 

このパネルがあった場所は震災当時から10mかさ上げされています。

 

中橋を渡ってすぐのところにあり、赤い鉄骨がむき出しになっているのが防災対策庁舎です。

 

 

こうして見ると先ほどいた場所が10mかさ上げされたというのがよくわかります。

 

この防災庁舎で最後まで防災無線で町民に避難を呼びかけた女性職員が殉職されたというニュースを何度も見ました。

 

 

津波が襲ってくるまで避難を呼びかけ、周囲からの「上に上がって」という制止の声とともに避難の放送が途切れたという。

 

この職員の防災無線でどれだけの町民の命を救ったことでしょう。

 

 

当時、町役場の行政庁舎で勤務していた53名がこの3階建の防災庁舎の屋上(高さ12m)に避難。

 

しかし、屋上の高さをはるかに上回る約16mの津波で43名が流され犠牲に。

 

10名は屋上に建つアンテナなどにしがみついて助かったという。

 

助かった命と助からなかった命・・・

あまりにも惨すぎる。

 

手を合わせて次の目的地に向かいました。

 

 

次が今回の旅の最後の立ち寄り地になります。

 

最後の立ち寄り地は南三陸町志津川の中心部からレンタカーで20分ほどのところの「神割崎」

 

 

日没に間に合うかギリギリでしたが、暗くなる前に何とか間に合いました。

 

二つに割れた奇岩の間から荒波がしぶきを上げながら押し寄せる「神割崎」

 

 

昔、この浜にクジラが打ち上げられました。

 

しかし、隣の村との境がはっきりしていなかったため、二つの村でクジラの取り合いの争いに。

 

争いから3日目の夜、岬がまっぷたつに割れ、クジラも2つに割られてしまったという。

 

二つの村人たちは、その神秘的な光景に驚き「神業」と信じて、争いをやめクジラを仲良く分け合い、岩の割れ目を両村の境界としたという伝説が残っています。

 

 

この割れ目が現在の南三陸町と石巻市の境界になっています。

 

 

 

この「神割崎」では10月下旬と2月上旬の年2回、神が割ったとされる割れ目から神々しい朝陽が昇ります。

 

11月1日のテレビのニュース番組で放送されていました。

 

 

※自宅のポータブルテレビを撮影

 

いつかこの日の出を見たいですね。

 

 

石巻市側にはこんな景色が広がっています。

 

 

今回の旅はここまででしたが、石巻市以南は来春に旅してみたいと思います。

 

つづく