箴言 その47
「20 わたしは、勧めと知識との三十の言葉を/あなたのためにしるしたではないか。
21 それは正しいこと、真実なことをあなたに示し、あなたをつかわした者に/真実の答をさせるためであった。
22 貧しい者を、貧しいゆえに、かすめてはならない、悩む者を、町の門でおさえつけてはならない。
23 それは主が彼らの訴えをただし、かつ彼らをそこなう者の命を、そこなわれるからである。
24 怒る者と交わるな、憤る人と共に行くな。
25 それはあなたがその道にならって、みずから、わなに陥ることのないためである。
26 あなたは人と手を打つ者となってはならない、人の負債の保証をしてはならない。
27 あなたが償うものがないとき、あなたの寝ている寝床までも、人が奪い取ってよかろうか。
28 あなたの先祖が立てた古い地境を移してはならない。」
旧約聖書「箴言」第22章20節~29節
感想
>20 わたしは、勧めと知識との三十の言葉を/あなたのためにしるしたではないか。
21 それは正しいこと、真実なことをあなたに示し、あなたをつかわした者に/真実の答をさせるためであった。
「22:20わたしの意見と知識に従って三十句
あなたのために書きつけようではないか。
22:21真理とまことの言葉をあなたに知らせるために
まことの言葉をあなたの使者に持ち帰らせよう。」(新共同訳)
口語訳と新共同訳では「使者」が全く違う意味になっているね。まず、「あなた」は読者とすると、口語訳の方は「あなたをつかわした者」の意味が分からない。新共同訳の方は、「使者」はパソコンかな。もちろん、当時の「あなた」は信者とかで立場が偉い人は使者を使っていたのだろう。
一応、インターネット時代を予言しているようなものも抜き書きしておこう。
「1 わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。
2 彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
3 また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
4 彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。」
「イザヤ書」第42章1節~4節
「2.おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
3.だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。」
「ルカによる福音書」第12章2節~3節
因みに、「イザヤ書」第42章の方には興味深い続きがある。
「18 耳しいよ、聞け。目しいよ、目を注いで見よ。
19 だれか、わがしもべのほかに目しいがあるか。だれか、わがつかわす使者のような耳しいがあるか。だれか、わが献身者のような目しいがあるか。だれか、主のしもべのような目しいがあるか。
20 彼は多くの事を見ても認めず、耳を開いても聞かない。
21 主はおのれの義のために、その教を大いなるものとし、かつ光栄あるものとすることを喜ばれた。」
「イザヤ書」第42章18節~21節(口語訳)
「42:18耳の聞こえない人よ、聞け。目の見えない人よ、よく見よ。
42:19わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど
耳の聞こえない者があろうか。わたしが信任を与えた者ほど
目の見えない者
主の僕ほど目の見えない者があろうか。
42:20多くのことが目に映っても何も見えず
耳が開いているのに、何も聞こえない。
42:21主は御自分の正しさゆえに
教えを偉大なものとし、輝かすことを喜ばれる。」(新共同訳)
「主」の選んだ者(使者)は、相当頑固な変人である。多分、21節のような事を現代で実現させるには、ただの変人ではダメで常識をわきまえた超常識人でなければダメだろう。全てのインテリを論破しなくてはいけないが、かみ合わないから(互いに)目しい耳しいにならざるを得ないのだろう。しかし、時が来れば認めざるを得ない現象が頻繁に起こるようになると推理される。念のため、21節の「主」はイエス・キリストと考えている。
>24 怒る者と交わるな、憤る人と共に行くな。
「22:24怒りやすい者の友になるな。激しやすい者と交わるな。」(新共同訳)
私の昔の友達たちを考えると、急に何かを思い出したように怒るので一緒に酒を飲んでいてもつまらない。自然と離れていくようになるだろう。みんな、コンプレックスにかさぶたみたいなものをして生きているのかな。
>26 あなたは人と手を打つ者となってはならない、人の負債の保証をしてはならない。
「22:26手を打って誓うな、負債の保証をするな。」(新共同訳)
保証人になるなというのは、何回か出て来たね。
「18 知恵のない人は手をうって、その隣り人の前で保証をする。」
「箴言」第17章18節(口語訳)
「17:18意志の弱い者は手を打って誓い
その友のために証人となる。」(新共同訳)
「15 他人のために保証をする者は苦しみをうけ、保証をきらう者は安全である。」
「箴言」第11章15節(口語訳)
「11:15他国の者の保証人となれば災難がふりかかる。手を打って誓うことを嫌えば安全だ。」(新共同訳)
「1 わが子よ、あなたがもし/隣り人のために保証人となり、他人のために手をうって誓ったならば、
2 もしあなたのくちびるの言葉によって、わなにかかり、あなたの口の言葉によって捕えられたならば、
3 わが子よ、その時はこうして、おのれを救え、あなたは隣り人の手に陥ったのだから。急いで行って、隣り人にひたすら求めよ。」
旧約聖書「箴言」第6章1節~3節
「06:01わが子よ、もし友人の保証人となって
他国の者に手を打って誓い
06:02あなたの口の言葉によって罠に陥り
あなたの口の言葉によって罠にかかったなら
06:03わが子よ、そのときにはこうして自分を救え。命は友人の手中にあるのだから
行って足を踏みならし、友人を責め立てよ。」(新共同訳)
>29 あなたはそのわざに巧みな人を見るか、そのような人は王の前に立つが、卑しい人々の前には立たない。
「22:29技に熟練している人を観察せよ。彼は王侯に仕え
怪しげな者に仕えることはない。」(新共同訳)
あまり関係ないが、ジョン・ディーを連想した。
「1550年、ディーは弱冠23歳だったが、ヨーロッパで既に尊敬を集め、名声は日増しに高まるばかりだった。ヨーロッパ中に鳴り響いた名声はロシアにまでおよび、皇帝からは多額の年金を取らせるから宮廷付きの学者になるように、との招請があった。ロシア皇帝からは「ディーの無双の博識と偉才はかねてから聞きおよんでいる」とのお言葉を賜ったという。これなどは、ディーが生前に外国の王侯、皇帝(カール五世も含む)から受けた、もしくは辞退した多くの招聘の内の一つに過ぎない。」
「ジョン・ディー エリザベス朝の魔術師」ピーター・J・フレンチ著より
おまけ