参考資料2114 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

箴言 その38
「1 正しく歩む貧しい者は、曲ったことを言う愚かな者にまさる。
2 人が知識のないのは良くない、足で急ぐ者は道に迷う。
3 人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ。
4 富は多くの新しい友を作る、しかし貧しい人はその友に捨てられる。
5 偽りの証人は罰を免れない、偽りをいう者はのがれることができない。
6 気前のよい人にこびる者は多い、人はみな贈り物をする人の友となる。
7 貧しい者はその兄弟すらもみなこれを憎む、ましてその友はこれに遠ざからないであろうか。言葉をかけてこれを呼んでも、去って帰らないのである。
8 知恵を得る者は自分の魂を愛し、悟りを保つ者は幸を得る。
9 偽りの証人は罰を免れない、偽りをいう者は滅びる。
10 愚かな者が、ぜいたくな暮しをするのは、ふさわしいことではない、しもべたる者が、君たる者を治めるなどは、なおさらである。
11 悟りは人に怒りを忍ばせる、あやまちをゆるすのは人の誉である。
12 王の怒りは、ししのほえるようであり、その恵みは草の上におく露のようである。
13 愚かな子はその父の災である、妻の争うのは、雨漏りの絶えないのとひとしい。
14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。
15 怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える。」
旧約聖書「箴言」第19章1節~15節

感想
>2 人が知識のないのは良くない、足で急ぐ者は道に迷う。

「19:02知識がなければ欲しても不毛だ。あまり足を急がせると過ちを犯す。」(新共同訳)

急がば回れ」という意味か?
自分の意思で回り道をしなくても運命的に回り道をさせられるような人もいるのだろうか。例えば、水泳の池江璃花子選手みたいな。(念のため、復活して金メダルでも取ればそう言えるが、現段階ではただの予言である。)
何のためかと言えば、ダメな奴の気持ちが分かるためだろう。

「1 だれがわれわれの聞いたことを/信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。
2 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。
3 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
4 まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
5 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」
「イザヤ書」第53章1節~5節

「10 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。」
「イザヤ書」第53章10節

救世主もこんな状態から(自力で)復活するのは、ダメな奴に言い訳させないためだろう。普通、病気だったらいじめなど受けないが、あえて全てを隠して病気といじめを自力でひっくり返すのだろう。

>3 人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ。

「19:03人は無知によって自分の道を滅ぼす。しかも主に対して心に憤りをもつ。」(新共同訳)

現代人は、「主」(神)など信じていないので、救世主を恨むのかもしれない。救世主(真理の御霊・契約の使者)が現われたと仮定しての話である。

「110:1 主はわが主に言われる、「わたしがあなたのもろもろの敵をあなたの足台とするまで、わたしの右に座せよ」と。」
旧約聖書「詩篇」第110篇1節

>4 富は多くの新しい友を作る、しかし貧しい人はその友に捨てられる。

「19:04財産は友の数を増す。弱者は友から引き離される。」(新共同訳)

金の切れ目が縁の切れ目にならなければいいけどね。因みに、イエスも似たような事を述べている。

「16:9 またあなたがたに言うが、不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう。」
「ルカによる福音書」第16章9節

奢るなら将来選民になりそうな奴に奢るべきだろう。(生存戦略)

「彼らは未来の奥義からその魂を救い出すことはできない
これは、あなた方のためのしるしである
義が世界の基準として、太陽とともに現れるだろう
驚くべき奥義をとどめておくすべてのものは存在しない
知識は世界に満ちて、おろかさは永遠に存在しない」
死海文書『奥義の書』より

「義」が世界の価値の基準になるらしい。この「太陽」が日本である可能性は高い。(世界に対して国家の比喩という事。)

「4:1万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。 4:2しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。 4:3また、あなたがたは悪人を踏みつけ、わたしが事を行う日に、彼らはあなたがたの足の裏の下にあって、灰のようになると、万軍の主は言われる。
4:4あなたがたは、わがしもべモーセの律法、すなわちわたしがホレブで、イスラエル全体のために、彼に命じた定めとおきてとを覚えよ。
4:5見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。 4:6彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。」
「マラキ書」第4章1節~5節

従来の解釈は、太陽=イエスだったと思うが、主がイエスなので、文脈的におかしい。また、預言者エリヤは「真理の御霊」(契約の使者)だろう。

>6 気前のよい人にこびる者は多い、人はみな贈り物をする人の友となる。

「19:06高貴な人の好意を求める者は多い。贈り物をする人にはだれでも友になる。」(新共同訳)

金に価値を置き過ぎている人には、奢られたくないものである。奴隷じゃないんだから。

>7 貧しい者はその兄弟すらもみなこれを憎む、ましてその友はこれに遠ざからないであろうか。言葉をかけてこれを呼んでも、去って帰らないのである。

「19:07実の兄弟も皆、貧しい人を憎む。友達ならなお、彼を遠ざかる。彼らは言っていることを実行しようとはしない。」(新共同訳)

価値の基準は、あくまでも「義」である。ただし、いざという時のために稼げるようにしておくのは大事なのかもしれない。(無理か。武士は食わねど高楊枝かな。)もちろん、普通に仕事をしているのが一番である。

>10 愚かな者が、ぜいたくな暮しをするのは、ふさわしいことではない、しもべたる者が、君たる者を治めるなどは、なおさらである。

「19:10愚か者に快楽はふさわしくない。奴隷が君主を支配するのは、なおふさわしくない。」(新共同訳)

精神的に卑しい者が、高貴な人を支配するのはふさわしくないという事だろう。(小公女セーラか!笑)

>14 家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。

「19:14家と財産は先祖からの嗣業。賢い妻は主からいただくもの。」(新共同訳)

妻は運命で決まっているのか? 「賢い」にも種類があるからね。「義人であれ」だろう。

おまけ