参考資料2113 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

箴言 その37
「13 事をよく聞かないで答える者は、愚かであって恥をこうむる。
14 人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。
15 さとき者の心は知識を得、知恵ある者の耳は知識を求める。
16 人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く。
17 先に訴え出る者は正しいように見える、しかしその訴えられた人が来て、それを調べて、事は明らかになる。
18 くじは争いをとどめ、かつ強い争い相手の間を決定する。
19 助けあう兄弟は堅固な城のようだ、しかし争いは、やぐらの貫の木のようだ。
20 人は自分の言葉の結ぶ実によって、満ち足り、そのくちびるの産物によって自ら飽きる。
21 死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。
22 妻を得る者は、良き物を得る、かつ主から恵みを与えられる。
23 貧しい者は、あわれみを請い、富める者は、はげしい答をする。」
旧約聖書「箴言」第18章13節~24節

感想
>14 人の心は病苦をも忍ぶ、しかし心の痛むときは、だれがそれに耐えようか。

「18:14人の霊は病にも耐える力があるが
沈みこんだ霊を誰が支えることができよう。」(新共同訳)

以前に、英語やフランス語は「霊」と「精神」が同じ単語だと紹介して、新約聖書の古代ギリシャ語もそうなのではないかと推理したが、古代ヘブライ語もそうみたいである。

「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」
「ヨハネによる福音書」第14章26節

他の箇所は全て「真理の御霊」で「霊」だが、ここでは「聖霊」となっている。だからクリスチャンの人は自分の中にあるキリスト(聖霊)と解釈しているのだろう。以前にも書いたが、原文はギリシャ語で、英語やフランス語の「霊」(spirit,esprit)には「精神」の意味もあるので、「聖なる精神(を持った人間)」ぐらいの解釈の方がいいと思う。そう解釈すると、ノストラダムスの2巻13番の詩ともリンクする。
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12364377652.html

「愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
                                (中略)
しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。」
「ヨハネの第一の手紙」第4章1節,6節

「真理の霊」と「真理の御霊」の原文は同じだろう。英語だったら「spirit」。訳者の主観が入りすぎである。そもそも、この「霊」は人間のようである。(「すべての霊を信じることはしないで」とあるから。)
引用元:https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12365975110.html

ところで、14節の「沈みこんだ霊を誰が支えることができよう」の答えは、22節の「妻を得るものは恵みを得る。主に喜び迎えられる」だろう。だから、夫婦関係は「隣人愛」の基本にして奥義だと考えている。

「25.するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26.彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27.彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28.彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。 」
「ルカによる福音書」第10章25節~28節

>18 くじは争いをとどめ、かつ強い争い相手の間を決定する。

「18:18くじはいさかいを鎮め
手ごわい者どうしも引き分ける。」(新共同訳)

解決しないような問題は、くじで決めるのが一番いいのかもしれない。例えば、普天間基地移設問題とかね。そんな無責任なという声が聞こえて来そうだが、民主主義では解決出来ないから何年も続いているのだろう。(イエスによる絶対王政ならどうなるだろう。まぁ、中国とかいなくなるから基地なんか必要ないか。笑)

>21 死と生とは舌に支配される、これを愛する者はその実を食べる。

「18:21死も生も舌の力に支配される。舌を愛する者はその実りを食らう。」(新共同訳)

「舌」とは「口」と同じで「言葉」の比喩だろうか。シンクロニシティーとして、「使徒行伝」の一節を紹介しよう。

「1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、
2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。
9 わたしたちの中には、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人もおれば、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、
10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者もいるし、またローマ人で旅にきている者、
11 ユダヤ人と改宗者、クレテ人とアラビヤ人もいるのだが、あの人々がわたしたちの国語で、神の大きな働きを述べるのを聞くとは、どうしたことか」。
12 みんなの者は驚き惑って、互に言い合った、「これは、いったい、どういうわけなのだろう」。
13 しかし、ほかの人たちはあざ笑って、「あの人たちは新しい酒で酔っているのだ」と言った。
14 そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人人に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。
15 今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。
16 そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、
17 『神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。
18 その時には、わたしの男女の僕たちにも/わたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう。
19 また、上では、天に奇跡を見せ、/下では、地にしるしを、/すなわち、血と火と立ちこめる煙とを、/見せるであろう。
20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、/日はやみに/月は血に変るであろう。
21 そのとき、主の名を呼び求める者は、/みな救われるであろう』。」
「使徒行伝」第2章1節~21節

真の「終わりの時」にもこのような現象が起こる可能性が高い。ただし、「霊」の正体はよく分からない。UFO的な奇跡だろう。(乗り物的なイメージではない。)

>24 世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。

「18:24友の振りをする友もあり
兄弟よりも愛し、親密になる人もある。」(新共同訳)

後者も怪しいものである。(状況が変われば態度が変わる人が多いからね。)

「このシナリオを使ったfMRIの実験で、「他人の幸福は飯がまずい」ということが、人間の本性であることがはっきりしました。」
引用元:https://president.jp/articles/-/20385?page=2

「北斗の拳」ですぐに殺される雑魚役(悪党)のような人達だろう。そうじゃない人も一定数いると信じたい。

おまけ