参考資料1677 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

ヘブル人への手紙 その9
「1.そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、
2.洗いごとについての教と按手(あんしゅ)、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。
3.神の許しを得て、そうすることにしよう。
4.いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
5.また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
6.そののち堕落した場合には、またもや神の御子(みこ)を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。
7.たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。
8.しかし、いばらやあざみをはえさせるなら、それは無用になり、やがてのろわれ、ついには焼かれてしまう。
9.しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、救にかかわる更に良いことがあるのを、あなたがたについて確信している。
10.神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名(みな)のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。
11.わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、
12.怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。」
「ヘブル人への手紙」第6章1節~12節

感想
>1.そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、
2.洗いごとについての教と按手(あんしゅ)、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。

現代のキリスト教とはかけ離れているね。「死人の復活と永遠のさばき」が基本の教えらしい。そんな事を教えている教会もあるのだろうか。

「4.また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスのあかしをし神の言(ことば)を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。
5.(それ以外の死人は、千年の期間が終るまで生きかえらなかった。)これが第一の復活である。
6.この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」
「ヨハネの黙示録」第20章4節~6節

「12.また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
13.海はその中にいる死人を出し、死も黄泉(よみ)もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
14.それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
15.このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」
「ヨハネの黙示録」第20章12節~15節

以上が「永遠のさばき」から連想した部位である。また、「死人の復活」からは以下の所。

「12.さて、キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。
13.もし死人の復活がないならば、キリストもよみがえらなかったであろう。
14.もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。
15.すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。
16.もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。
17.もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。
18.そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。
19.もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。」
「コリント人への第一の手紙」第15章12節~19節

現代のクリスチャンでパウロやペテロが死者の復活を行ったと信じている人はほとんどいないだろう。イエスなら行ったと思っているかもしれないが。
因みに、私はイエスが再臨したとしたら、現代人の一部の人は死者の復活を行えるようになると考えている。念のため、個人的能力という意味ではない。神(未来人)の助力を得られる人は、自我意識はないが自己に対する認識はある(大人の自覚があるという事)ような人たちだろう。

>4.いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
5.また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、

現代人の一部の人は、「聖霊の洗礼」を行えるようになる可能性が高い。

「1.アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、
2.彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。
3.「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。
4.そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。
5.人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。
6.そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。」
「使徒行伝」第19章1節~6節

ただし、そこで慢心したら「神の国」に入る事は出来ないだろう。

「21.わたしにむかって、『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨(みむね)を行う者だけが、はいるのである。
22.その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23.そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」
「マタイによる福音書」第7章21節~23節

正解はこちら。

「31.人の子が栄光の中にすべての御使(みつかい)たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
32.そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、
33.羊を右に、やぎを左におくであろう。
34.そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国(みくに)を受けつぎなさい。
35.あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
36.裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』。
37.そのとき、正しい者たちは答えて言うであろう、『主よ、いつ、わたしたちは、あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ、かわいているのを見て飲ませましたか。
38.いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せましたか。
39.また、いつあなたが病気をし、獄にいるのを見て、あなたの所に参りましたか』。
40.すると、王は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』。
41.それから、左にいる人々にも言うであろう、『のろわれた者どもよ、わたしを離れて、悪魔とその使たちとのために用意されている永遠の火にはいってしまえ。
42.あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせず、かわいていたときに飲ませず、
43.旅人であったときに宿を貸さず、裸であったときに着せず、また病気のときや、獄にいたときに、わたしを尋ねてくれなかったからである』。
44.そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。
45.そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。
46.そして、彼らは永遠の刑罰を受け正しい者は永遠の生命に入るであろう」。」
「マタイによる福音書」第25章31節~46節

>11.わたしたちは、あなたがたがひとり残らず、最後まで望みを持ちつづけるためにも、同じ熱意を示し、
12.怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。

「真理の御霊」(契約の使者)の同志は決して従来のクリスチャンではないだろう。最初は、相当変人と思われる人しか「彼」には付いて行けないだろう。聖書の内容自体がとても変なのだから。

おまけ