論文著者間の衝突 その9
「ネイチャーに修正論文を再投稿しようとしていた頃、笹井先生から、「若山さんにレター論文の責任著者に加わってほしいと言われた」と連絡を受けた。あんなにレター論文の投稿に熱心だった若山先生が私に何の相談もなく本当にそう言ったのか、笹井先生が誤解しているだけなのではないかと思い、若山先生に確認のメールを出すことにした。若山先生の、「僕と小保方さんの実験に笹井先生が割り込んできた! という意味でメールを送ってくれたのだと勝手に解釈して、勝手に喜んでいます」という返信メールの中に、「論文はまとめて書く作業をした人が責任著者になるのがいいと思う」とも書かれていた。
たしかに若山先生が山梨大に移り、物理的距離が離れてしまってから、若山先生が中心となり進められていた論文執筆の主導権は、若山先生から笹井先生の手に移りつつあった。実際に若山先生と笹井先生の間でどんなやりとりがあったかはわからない。笹井先生は責任著者に加わるだけでシニアオーサーを若山先生が降りるわけではないことを聞き、ある程度の納得はしたものの、レター論文は若山先生以外の共著者間でもっと検証してから出すべきだと話し合われていたのに、若山先生の強い意向で投稿が決まった経緯があり、私自身、尊敬する若山先生のために頑張ってきたという思いが強かった。あんなに熱心であったにもかかわらず、若山先生が笹井先生に論文化の主導権をある程度渡してしまう意向を示したことは、若山先生が論文への責任を途中で放棄したようにも感じられた。シニアオーサーとしての栄誉と責任の所在は、元来の科学論文の原則としてシニアオーサーのもとにあるべきだったが、さまざまな要因でだんだんとひずみが大きくなり、責任の所在がますます不明確になってしまった。
さらに、ネイチャー編集部から、レター論文のSTAP幹細胞化のデータの一部を、アーティクル論文に加えて書き直すように指示が出された。アーティクルは自分が発見した「STAP現象」をまとめた現象論を示す論文に仕上げたいとの希望が強かった。しかし若山先生しか成功していない幹細胞株化のデータを、まるで最大の発見のようにアーティクルの最後に載せなければならなくなってしまい、アーティクル論文の主題が「現象の発見」から「新たな幹細胞の確立」へと変わろうとしていた。若山先生の突然の責任放棄に加え、その若山先生が主張していた論調へとアーティクル論文の主題まで変わろうとしている。思いがけない路線変更に遭遇し、私の気鬱は大きくなった。
笹井先生はそんな私を見て、「でもこの論文さえ終われば、若山さんへのご奉公も終わり、自分のやりたかった研究を思い切りすることができる。それに、アーティクル論文の主題はSTAP現象の発見であるとの主張を変えずに、うまく文章化していけるように僕も力の限り協力します。だから最後まで投げ出さずに頑張りましょう」と励ましてくださった。このような経緯で9月7日に再投稿した修正論文に対するネイチャーからの返事は10月3日に届き、更なる修正を要求するコメントが付けられていた。コメントに対する回答を用意し、要求に沿った再修正を行った再修正論文を11月15日に再再投稿すると、その再修正論文に対するネイチャーからの返事が12月13日に届けられた。そこには更なる修正を求めるコメントが記載されていたが、3人いたレビューワーのうち、強硬にさらなる大幅な修正を要請していた一人のコメントはエディターの判断で答えなくていいことになり、その他の細かな修正をこなし、12月16日に再再修正論文の投稿を行った。」
「あの日」小保方晴子著より
感想
>ネイチャーに修正論文を再投稿しようとしていた頃、笹井先生から、「若山さんにレター論文の責任著者に加わってほしいと言われた」と連絡を受けた。
一応、アーティクル論文とレター論文の復習。
「ネイチャー誌にはアーティクルと呼ばれる5ページほどの長さの長い論文と、レターと呼ばれる3ページほどの長さの短い論文の掲載方式がある。インパクトの強い論文は多くの誌面を獲得できるため、アーティクルの書式での掲載が多く、その一方で著者が自身の研究内容に自信があってアーティクル形式で投稿しても、ネイチャー編集部の判断によってレターの形式に短くまとめるように指示されることもあるという。また速報的な記事はレターとして掲載されることも多いそうだ。」
「あの日」より
>あんなにレター論文の投稿に熱心だった若山先生が私に何の相談もなく本当にそう言ったのか、笹井先生が誤解しているだけなのではないかと思い、若山先生に確認のメールを出すことにした。
昨日推理したように、この時点でSTAP幹細胞は勘違いだったと気付いていて失敗仲間を増やそうとしたのか? ただし、まだ不可能とは思っていないので、幹細胞株化はそのうち出来るだろうと考えていたとか。
>若山先生の、「僕と小保方さんの実験に笹井先生が割り込んできた! という意味でメールを送ってくれたのだと勝手に解釈して、勝手に喜んでいます」という返信メール
こういうのをバラすのもどうかと思うが、ストーカーになるような気質なのか。因みに、マスコミの酷い例を挙げよう。
「主人は最初こそ報道はあまり気にせず、笹井が小保方さんを『僕のシンデレラ』と呼んでいる、なんて記事が出た後も、『あれは自分じゃなくて、違う人が言ったんだよ』と笑っていたくらいでしたけど、精神的な負担が増すにつれ、そうした記事に次第に追いつめられるようになっていったのです。」
引用元:http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02160400/?all=1
これを言ったのは、若山教授だろう。(ちょっと検索したら笹井氏が言った事になっている。)
「週刊文春が「小保方晴子さん乱倫な研究室」と題して、笹井芳樹氏からの寵愛であったり、若山照彦が「僕のシンデレラ」と呼んでいた事を指摘しています。」
引用元:https://matome.naver.jp/odai/2139526990336476601
ただし、ガセネタの可能性も十分ある。また、バカンティ教授からは「僕のエンジェル」と呼ばれていたらしい。ネタ元:http://www.koshigaya.bunkyo.ac.jp/~wakei/cgi-bin/trees2.10/trees.cgi?log=&v=77168&e=msg&lp=77168&st=
ただし、ガセネタの可能性も十分ある。
「また、主人が山中(伸弥・京大iPS細胞研究所所長)先生への対抗心を強く持っているかのような報道もありましたけど、あれも違います。STAP論文発表の記者会見の際、(STAPとiPSとを比較し、STAPの方が性能が高いと書いたような)ペーパーを配ったことから、そういう見方が広まったのだと思いますが、主人は後で『数字が独り歩きしてしまった』と後悔していました。実際は、山中先生とは厚労省のミーティングなどでしょっちゅう顔を合わせていてとても親しい仲でした。先生がノーベル賞を取った時も、主人は、メダルと同じ形をした記念のチョコレートにサインしてもらって、家に大切に飾っていたくらい。これは今でもそのままにしています。私はあの頃は逆に報道陣の方が狂っていたんだと思っています。」
引用元:http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02160400/?all=1
うっかりマスコミに騙されていたよ。笹井氏は本当に人格者だね。(昨日の記事からある程度裏が取れる。)
>笹井先生は責任著者に加わるだけでシニアオーサーを若山先生が降りるわけではないことを聞き、ある程度の納得はしたものの
>尊敬する若山先生のために頑張ってきたという思いが強かった。
若山教授もこんなに慕われていたのによく平気で裏切れるね。愛と憎は表裏一体ゆえか。
補足:上の「週刊文春が「小保方晴子さん乱倫な研究室」と題して、笹井芳樹氏からの寵愛であったり、若山照彦が「僕のシンデレラ」と呼んでいた事を指摘しています」がおかしい事に気が付いた。週刊文春が笹井氏が「僕のシンデレラ」と呼んでいると書いたようだ。
http://www.j-cast.com/2014/03/19199680.html
ネット情報も週刊誌もガセネタが多いので自分で判断するしかないね。
おまけ