パリサイ派たちとの対決 その2
「復活ということを否定するサドカイ派、聖書にくわしい学者たちもいろいろと問題を出したが、みなみごとに却けられた。しかし彼らは決して納得せず、かえっていよいよイエスを危険視して、どうかしてイエスを捕えて殺そうと計略をめぐらした。
それを感じるにつけても、彼はいよいよ自分の死が必死であるのを自覚したようだ。彼はあるとき言っている。
「人の子(イエス自身のこと)の栄光を受ける時が来た。よくよくあなた方に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かな実を結ぶようになる。」(ヨハネ伝12)
弟子たちに対しても、彼の名の故に人々に憎まれたり打たれたりする日の来ることを警告し、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ伝12)と言って励ましたりした。
そんな重苦しい空気の中で、ある日お宮のさいせん箱のところで、ひとりの貧しい女が、ポケットから小さい銅貨を二つ、そっと箱にいれるのを見て、イエスはきゅうにうれしくなった。彼は弟子たちをよび集めて言った。
「見てごらん。あの貧しいやもめは、どんな金持よりもたくさんのお金を神にささげたのだよ。みんなは、ありあまる中からわずかに投げいれたのだが、あの女は、まずしいさいふの中の全部をいれていったのだよ。」(マルコ伝12)
まごころから出たものこそ、たとえ、どんなにささやかなものであろうとも、イエスはこの上なくうれしく思うのだった。」
「聖書物語・新約物語」山室静著より
感想
>どうかしてイエスを捕えて殺そうと計略をめぐらした。
織田信長とか豊臣秀吉と違って王が殺そうとしていた訳じゃないんだよね。生まれた時はヘロデ王が殺そうとしたらしいが。(よく考えると、ちょっと怪しい話だよね。占いか何かを信じてその年に生まれた子供全部殺すか? そんな事したら暴動が起きるかもしれないと考えないのかな。「マタイによる福音書」第2章)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BC%E5%85%90%E8%99%90%E6%AE%BA#.E6.89.B9.E5.88.A4.E7.9A.84.E8.A6.8B.E8.A7.A3
とにかく、ユダヤ教徒は論破出来ない上に信じられない奇跡を巻き起こすものだから、民衆の支持がみんなイエス(と洗礼者ヨハネ)の方に行ってしまって殺すしかないと思っていたんだろうね。
>弟子たちに対しても、彼の名の故に人々に憎まれたり打たれたりする日の来ることを警告し、「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マルコ伝12)と言って励ましたりした。
「マタイによる福音書」第24章や「ルカによる福音書」第21章はよく取り上げるので、今回は別の所を取り上げる。因みに、上の「マルコ伝12」は「マルコ伝13」の間違いだね。
「24.また、ほかの譬(たとえ)を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
25.人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
26.芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
27.僕(しもべ)たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
28.主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
29.彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
30.収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。
31.また、ほかの譬(たとえ)を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、
32.それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」。
33.またほかの譬を彼らに語られた、「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」。
34.イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。
35.これは預言者によって言われたことが、成就するためである、
「わたしは口を開いて譬を語り、
世の初めから隠されていることを語り出そう」。
36.それからイエスは、群衆をあとに残して家にはいられた。すると弟子(でし)たちは、みもとにきて言った、「畑の毒麦の譬を説明してください」。
37.イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。
38.畑は世界である。良い種と言うのは御国(みくに)の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。
39.それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は御使(みつかい)たちである。
40.だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終りにもそのとおりになるであろう。
41.人の子はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
42.炉の火に投げ入れさせるであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
43.そのとき、義人たちは彼らの父の御国で、太陽のように輝きわたるであろう。耳のある者は聞くがよい。
44.天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
45.また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
46.高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。
47.また天国は、海におろして、あらゆる種類の魚を囲みいれる網のようなものである。
48.それがいっぱいになると岸に引き上げ、そしてすわって、良いのを器に入れ、悪いのを外へ捨てるのである。
49.世の終りにも、そのとおりになるであろう。すなわち、御使たちがきて、義人のうちから悪人をえり分け、
50.そして炉の火に投げこむであろう。そこでは泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
51.あなたがたは、これらのことが皆わかったか」。彼らは「わかりました」と答えた。
52.そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
53.イエスはこれらの譬(たとえ)を語り終えてから、そこを立ち去られた。」
「マタイによる福音書」第13章24節~53節
義人の中にも悪人がいるという事はやはりスピリチュアル好きな人達が敵なのかな。何しろ、聖書の天国で一番偉い人は子供のような人の上にへりくだった人だっていうんだから普通の人には着いていけないよね。だから、「別のもの」なのかもしれないが。
おまけ