参考資料952 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

偽予言イコール偽予言者?
「ヨハネは『黙示録』で“偽予言者”と呼ばれる人物について書いている。
 この“偽予言者”はいずれ現れる多くの“偽予言者”と、はっきり区別されている。『黙示録』のにせ予言者は、終わりの時に、『黙示録』では“全能者である神の大いなる日の戦い”と呼ばれる“ハルマゲドンの戦い”に向けて“獣”“竜”とともに世界を率いている。三人の首領のひとりという重要人物だからである。
 しかし、“偽予言者”、最高の偽予言者と特別扱いするだけで、とくに重要な偽予言と関連することがないのでは、なんともばかばかしく思われる。はっきり断言できるのは、1917年にイギリス軍によるエルサレムの解散が終わりの時を到来させたとき、世界を舞台に演じられる時代のドラマの最後の幕の登場人物たちが出そろったということだ。そして1948年、イスラエルの地におけるユダヤ人国家の誕生で、古代の予言者たちの予言の成就は、さらに念押しされたのである。
 だとすれば、偉大な偽予言は、この1917年という年に関連しているはずではないだろうか。そして、ヒジュラ紀元1335年という解釈こそ、じつは史上最大の偽予言―――ある時代の予言研究者たちをうまくひっかけて、1917年に成就した1260年の期限と千三百三十五年の期限とが、同じ年度に重なることを信じこませるための“いかさま予言”なのだとは考えられないだろうか。
 1917年のエルサレム解放と1948年のユダヤ国家イスラエルの誕生は、どちらも重要は重要だが、予言上最も重要な出来事ではない―――最も重要な事件はこれから未来に起きるのだ。だからわたしは、ダニエルの示した期限は、1948年で完了したのだとは信じられない。
 必然的にわたしは、以下のような結論に導かれる―――千三百三十五年の期限はヒジュラ紀元の年数ではなく、じつは千二百六十年と千二百九十年につづく編年上の期限として意図されたものなのだと! ヒジュラ紀元に置き換えると西暦1917年に合致するのは、故意にわたしたちを混乱させて、いにしえの予言者たちの予言の中に示された最も重要な年度との関連を隠そうとする、邪悪な力のなせるわざか、それとも、時の流れが生みだした無比無類の偶然のいたずらのいずれかなのだ。
 ちょっと計算してみれば、すぐわかる。もし千二百六十年目が1917/18年ならば、千二百九十年目はさらに三十年後の1947/48年に相当する。前者の年度1917年には、エルサレムがイギリス軍によって解放され、後者の1948年には、ユダヤ人国家イスラエルが誕生したことが、もうわかっている。
 もし千三百三十五年が千二百六十年、千二百九十年につづく期限を表わしているのなら、その差四十五年(1335-1290)が1947/48年に加わるから、千三百三十五年の期限は1992/93年に切れることになるわけだ!
 この仮定が正しければ、これから1992年までの数年間は、政治、経済両面でとてつもなくショッキングな、ものすごい大事件がぞくぞく発生する時代となるだろう。
 1992年。いったいその年には、いかなる運命がわたしたちを待ち受けているのだろうか―――“ハルマゲドンの戦い”か、“メシア再来”か?
 ハーヴァード大学のウォルド博士は正しいのだろうか? 人類の文明は西暦2000年までつづかないのだろうか? はるかな昔、遠いオリーブ山上で、ナザレの“予言者”が弟子たちへの答えとして与えた予言が、ついに成就するのだろうか?
 これらの問いの答えがどう出ようと、人類は予言者ダニエルのこの言葉に勇気づけられることだろう。
《千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである》
 いまはまだこの世界にも、ささやかな希望があると信じたい。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>ヒジュラ紀元に置き換えると西暦1917年に合致するのは、故意にわたしたちを混乱させて、いにしえの予言者たちの予言の中に示された最も重要な年度との関連を隠そうとする、邪悪な力のなせるわざか、それとも、時の流れが生みだした無比無類の偶然のいたずらのいずれかなのだ。

この人の理論のシンクロニシティーにはいつも感心させられるが、基本的に文章は「終わりの時」について書かれているので、(1917年や1948年について)全ては偶然だろう。念のため、偶然も「終わりの時」の人達のために起きていると思っている。
ところで、昨日の記事の「ひと時とふた時と半時」や「1260日」について補足する。

「彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじられるであろう。」(「ヨハネの黙示録」第11章2節)

やはり、「終わりの時」に三年半ぐらい踏みにじられるのだろう。(第13章5節に「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた」とある。)

「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう。」

「終わりの時」には「聖徒」(選民)の中から2人の預言者が出るらしい。やはり、三年半。

因みに、この人たちは悲惨である。以前までは殺されるといっても比喩だと思っていたが、イエスの時代には実際に死者の復活があったようなので「終わりの時」にも起こるのだろう。

「1.それから、わたしはつえのような測りざおを与えられて、こう命じられた、「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい。
2.聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう。
3.そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
4.彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台(しょくだい)である。
5.もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
6.預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に換え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
7.そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
8.彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
9.いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
「ヨハネの黙示録」第11章1節~9節

イエスの証人にマフディー(導かれた者)以外にもう1人いるのか。

おまけ