参考資料893 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

最高位の天使ルシファーが、天界を追放された真の理由
「「アダムよ、俺の敵意とねたみと悲しみは、すべてきさまに向けられている。
俺が、天で、天使たちの真ん中でもっていた自分の栄光から追い出され、遠ざけられたのは、きさまのためなのだ。
また、地に投げ堕とされたのもきさまのせいなのだ」(12節)

 光の天使であったルシフェルが天界を追放されたのは、アダムが原因であるという意外な告白にアダムは愕然とした。身に覚えのないことである。天使ルシフェルは、己の完全さに慢心し、絶対神に反乱を起こして地獄に追放されたのではなかったのか?

「アダム。きさまが原因で俺はあそこから追放されたのだ。
きさまが形創られた時、俺は神の面前から追放され、天使たちの交わりの外へやられたのだ。
神がきさまの中に生命の息を吹き込み、きさまの顔が創られ、神の像に似たものとされた時、ミカエルもきさまを連れてきて、(中略)俺にこう言った。
『神の似像を拝しなさい』
そこで俺は、こう答えてやった。
『俺はアダムを拝することはできない』
ミカエルは、それでも俺をせきたてた。
俺は重ねて言ってやった。
『どうして俺をせきたてるのだ。
俺は、自分より劣るもの、後からできたものを拝したりはしない。
被造物の中では俺のほうが先だ。
奴ができる前に俺はすでに創られたのだ。
奴こそが俺を礼拝しなければならない』」(13~14節)

 すると、ミカエルが、似像を拝しないなら神がお怒りになると言った。
 サタンは、すぐさま切り返した。

「神が私に対してお怒りになるなら、俺は自分の座を天の星よりも上のほうに置き、いと高き方と似たものになってやる」(15節)

 すると神はお怒りになり、すぐさまルシフェルと彼に同調した天使たちを栄光の外に追いやり、地に堕とした。

「こういうわけで、俺はきさまが原因で自分たちの住居からこの世に追い出され、地に投げ堕とされたのだ。
俺たちはあれほどの栄光を奪われたおかげで、たちまち苦悩に陥った。
そして、きさまがあれほどの楽しい喜びのうちにいるのを見て、腹が立った。
そこで、俺は、きさまのかみさんをたぶらかして罠にかけ、ちょうど俺が自分の栄光から追い出されたように、きさまがかみさんのおかげで、自分の楽しい喜びから追い出されるようにしてやったのだ」(16節)

『新約聖書』の偽典「アダムとエバの生涯」は、ルシフェルの天界追放の原因を、右のように説明している。正典『聖書』では、その原因をルシフェルの慢心によるものとしているだけで、具体的なことは報告していない。それが偽典では明確にされている。
 本来、「アダムとエバの生涯」は、エデンの園を追放されたあと、アダムとエバがいかなる艱難辛苦をなめたかを伝える物語なのだが、偶然、そこに、ルシフェル軍団の天界追放の真の理由も明かされていたのである。」
「封印された【黒聖書】の真実」並木伸一郎著より

感想
前回も偽作と判断したが、本当に作り話っぽいね。

>『神の似像を拝しなさい』

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も偶像崇拝は禁止しているよね。
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12082573754.html(下の方。)

>『どうして俺をせきたてるのだ。
俺は、自分より劣るもの、後からできたものを拝したりはしない。
被造物の中では俺のほうが先だ。
奴ができる前に俺はすでに創られたのだ。
奴こそが俺を礼拝しなければならない』」(13~14節)

ちょっと年上だからと言って人生の先輩づらするような奴は小さいね。

「そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」
「マタイによる福音書」第18章1節~5節

>アダムとエバがいかなる艱難辛苦をなめたかを伝える物語なのだが、

艱難辛苦といえば、この話を連想するね。

「いままで知らなかった教会(統一教会)の暗い部分が急に輪郭を持って浮かびあがってくる恐怖感。私は眠ったふりをして耳をふさいだ。日を追うごとに、次々に耳に入ってくる“隠された話”によって、私は混乱していった。彼等は嘘を言っているのか?嘘ならば何故こんなに説得力があるのか。統一教会で教えられた神では解決できないことが多すぎた。でも私にはそれしかなかった。旧約聖書のヨブ記を読みだしたのはそんな私の迷いが頂点に達した時だった。その日私は「聖書の中から私に一番必要なみ言をさずけて下さい」とお祈りをして聖書を開いた。それで出てきたのがヨブ記の1ページ目だったのだ。ヨブ記は、ヨブという人物が神の了解のもと、サタンによってその信仰を試される話である。財産も幸福な家庭も持っていて信仰心道徳心ともに篤く、義人として知られているヨブに、次々とサタンの不幸が襲う。事故により家族や財産を失い、不治の病に冒されたヨブは、やがて人々の嘲笑を受ける立場にまで貶められる。そこで三人の友が彼を慰めに来るが、ヨブは苦しみからその言葉でもって神を呪う。三人の友はヨブのその言葉に憤り、激しく彼を責める。このやりとりがまるで自分の心の葛藤と重なって胸にせまってきた。もちろん私は、信仰を捨てて神を呪うとは何事かと嘆く三人の友に、より近い感情を抱いていた。長々と続く応酬の後に、そこに神が現れてヨブに答えられた。「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ」(ヨブ記38章2節3節)そして神が、御自身がこの世を造ったことを滔々(とうとう)と語られた後に、ヨブは許され、病気も癒され、財産を取り戻す。正直に言おう。この時の私の感想はハラホロヒレハレであった。そしてすっかり腰が砕け散った気分であった。私の解釈が正しいかどうかは判らない。ひょっとしたら、神は単にそうしたかったから、サタンの手にヨブを渡しただけかもしれないと思った。ページを閉じた後も、「無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか」という言葉だけが私の頭にこびりついていた。」
「脱会 - 山崎浩子飯星景子報道全記録」より

おまけ