参考資料881 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

平和そして大破局
「十二使徒のひとりの予言者パウロは、こう予言している。

 盗人が夜やってくるように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ、安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやってくるのと同じで、決してそれから逃れられません。
テサロニケの信徒への手紙一 5章2,3節

 家の者が留守だったり、眠っていたり、油断していたりする時、盗人はこっそり家にやって来る。“産みの苦しみ”は、ほぼ正確に予測できる時期に訪れる。
 わたしたちはいま、“ハルマゲドンの戦い”の“最終局面”にあたる時期に生きていて、その産みの苦しみがいつ起こるのかを示すために予言者が用意してくれた“時計の文字盤”を知っている。
 ソ連が国境という扉を音高くノックして、野心をパレスチナに向けていると宣言するなどと思わないように―――盗人はそんなことはしない。こっそり来るというお決まりの方法で、人を驚かすものなのだ。だから予言者は、人びとが“平和と安全”を叫び、侵略など予想もしていないときに、ゴグとマゴグの軍隊が攻撃をかけると言っているのだ。
 現在、平和運動が急激な盛り上がりを見せているが、平和運動を支持する聖職者たちは、“心のままに”そして“自分の霊のおもむくままに”助言するのをやめるべきだ。聖職者の役目とは、聖書にしたがい、予言にしたがい、予言者に従うことだ―――従わなければ何の意味もない。
 立ち止まってほしい! 考えてほしい! そして予言者の残した言葉を読んでほしい。
“キリスト教徒”を自称するなら、“キリスト”が、十二使徒たちが、“終わりの時”について残した言葉をとっくりと調べてみてほしい―――キリストが平和の望みはほとんどない、と約束していることがわかるだろうから。
 ここまで読まれた読者の中には、わたしが自分で決めた原則を自分から否定したと考える人もいるだろう。わたしは予言者の言葉は、つねにその予言が向けられた人たちに当てはめなくてはならない、と述べたからだが、わたしがイスラエルだけに向けられた“しっくいで上塗りした壁”の予言を、ユダヤ人国家イスラエル、イギリス、アメリカの三国に関連づけたのはなぜだとお思いだろうか? 次の章ではその点について説明する。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>盗人が夜やってくるように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。人々が「無事だ、安全だ」と言っているそのやさきに、突然、破滅が襲うのです。ちょうど妊婦に産みの苦しみがやってくるのと同じで、決してそれから逃れられません。
テサロニケの信徒への手紙一 5章2,3節

一応、手元の聖書で前後も考えると、

「兄弟たちよ、その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない。しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。」
「テサロニケ人への第一の手紙」第5章1節~4節

「主の日は盗人のように襲って来る」というのは有名な言葉で「ペテロの第二の手紙」の一節であるが、今回「主の日はアバウトには分かった状態で来る」事が判明した。(妊婦も大体いつ頃出産するかは分かるように。)

一応、「ペテロの第二の手紙」から抜き書きしておこう。

「まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。」
新約聖書「ペテロの第二の手紙」第3章3節~13節

現在の延長では、キリスト教徒でさえ真剣にイエスの再臨を信じていないのにこんな状態には永遠にならないだろう。特に日本ではクリスチャンは1%だそうだからね。個人的には、イスラム教のコーランに書いてあるイエス・キリスト(イーサー)に前もって現れる救世主マフディが道を整えておくと考えているが。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC#.E5.86.8D.E8.87.A8

>立ち止まってほしい! 考えてほしい! そして予言者の残した言葉を読んでほしい。
“キリスト教徒”を自称するなら、“キリスト”が、十二使徒たちが、“終わりの時”について残した言葉をとっくりと調べてみてほしい―――キリストが平和の望みはほとんどない、と約束していることがわかるだろうから。

まぁ、こんな一節もあるけどね。
「聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。なぜなら、預言は決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。」
「ペテロの第二の手紙」第1章20節~21節

同性愛者は全て地獄行きか。私は自分の頭で考えながらも自我意識を抑えた「義」のある人達が選民だと信じたい。

おまけ