参考資料870 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

二千年前に予言された労働者の蜂起
「本章を終えるにあたり、古代の予言者の幻視には、従来よりずっと公平な社会の到来は含まれていないと、読者が考えておられるとしたら、その誤解を解いておきたい。本章で論じたのは、社会主義そのものではない。社会主義のようなものにすぎないのだ。
 わたしは幼少年時代を、いまで言う“恵まれない大都市中心部地域”で過ごした。人間性に反し、人間の尊厳を踏みにじる犯罪を多数目撃してきた。あんな恐ろしい状態を野放しにしておく社会とつきあうのはごめんである。
 わたしとて、正しい社会を望んでいるのだ! しかし、過去六十五年間の歴史が教えた教訓は、マルクス主義はどこで権力を握ろうと、社会を“悪く”してしまうということだ。われわれは全人民のために、よりよい世界を求めねばならない。しかし、ある体制がよりよい社会を約束するからといって、その体制に約束を守る意志があるとか、公約を実行する能力があるとか考えてはならない。
 イギリス国内には、前に書いたように三百万を超える失業者がいる。だれもが、こんな状態はまったく我慢ならないと認めている。とはいえ、こうした失業者も短期間なら、さほど窮乏するわけではない。しかも、生活水準に限っていえば、彼らの暮らしはソ連の平均的労働者よりはましなのである。
 ところで、予言者は二千年前に社会主義の台頭を予言していた。予言者ヤコブは、“終わりの時”に政治の世界に起こる事態を、西暦45年にこう述べている。

 さあ、富んでいる人たち、自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。
 ご覧なさい。畑を刈り入れた労働者に、あなたがたが偽って払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達したのです。
ヤコブの手紙 5章1~4節

 次の<史上最悪の経済大恐慌>の章で見るように、古代の予言者たちは、最後の時代になったとき大企業の快適な世界に多くの亀裂が入ることを予見している。
 右のヤコブの予言は、じつに驚くべきものではないか。ほぼ二千年前に、“終わりの時”に労働者が台頭することを警告したとは。われわれが生きているうちに、各国で次々に、まさにヤコブの予言したとおりの事態が起こらないと、だれが断言できよう。
 予言者は、抑圧された者たちの“叫び声”が大いなる心霊界に“達した”と語っている。現代の世界的商業体制もけしていいものではないが、マルクス主義は論外だ
 わたしは、すでに破綻が証明済みのマルクス主義を、断固として認めない。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(下)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>マルクス主義はどこで権力を握ろうと、社会を“悪く”してしまうということだ。われわれは全人民のために、よりよい世界を求めねばならない。しかし、ある体制がよりよい社会を約束するからといって、その体制に約束を守る意志があるとか、公約を実行する能力があるとか考えてはならない。

共産主義社会の理想は私有財産制度の撤廃だろうが、そんな理想は現実的には無理だからそれを進化させたマルクス主義社会では、一部の特権階級がやりたい放題になってしまうのは、人間自体に問題があるからだろう。
私は常々、なぜイエス・キリストが王(King of Kings)と表現されているのか、仏教で言えば悟り・解脱を得たような人間による絶対王政こそが理想社会なのではないかと思っている。(民主主義(資本主義・共産主義)は担任の先生のいない学級会のようなものだと思っている。)
補足:http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12003414116.html

>さあ、富んでいる人たち、自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。
 ご覧なさい。畑を刈り入れた労働者に、あなたがたが偽って払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達したのです。
ヤコブの手紙 5章1~4節

昨日の記事の、
「キリスト教の中でよく聞く言葉に「貧しき者こそ幸いだ」「富める者が天国に行くのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」というものがありますが、この言葉こそが貧しい人や力のない弱い人が強い人間に対して嫉妬している、つまりルサンチマンを持っているとニーチェは考えました」

「義」のある人たちは「終わりの時」の前から良い関係を作っているから「不幸がふりかかって」来ないのかもしれないね。

一応続き。
「富んでいる人たちよ。よく聞きなさい。あなたがたは、自分の身に降りかかろうとしているわざわいを思って、泣き叫ぶがよい。あなたがたの富は朽ち果て、着物はむしばまれ、金銀はさびている。そして、そのさびの毒は、あなたがたの罪を責め、あなたがたの肉を火のように食いつくすであろう。あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。見よ、あなたがたが労働者たちに畑の刈入れをさせながら、支払わずにいる賃銀が、叫んでいる。そして、刈入れをした人たちの叫び声が、すでに万軍の主の耳に達している。あなたがたは、地上でおごり暮し、快楽にふけり、「ほふらるる日」のために、おのが心を肥やしている。そして、義人を罪に定め、これを殺した。しかも彼は、あなたがたに抵抗しない。」
「ヤコブの手紙」第5章1節~6節

ただし、「富んでいる」はダブルミーニングの可能性もある。

「『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生き返った者が、次のように言われる。わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人ではなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている。」
「ヨハネの黙示録」第2章8節~9節

自称ユダヤ人という事は自称選民という事でクリスチャンが祭司と述べている人の事か。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E4%BA%BA%E7%A5%AD%E5%8F%B8(こじつけとしか思えない。)

おまけ
https://www.youtube.com/watch?v=y-KC5jtHnhI