参考資料766 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

この日のための予言
「しばらくのあいだ、問題の1917年12月8日に待機しつつ監視をつづけるこのイギリス軍部隊から離れ、英国に戻ろう。英国国教会の礼拝に出席するのだ。
・・・・この朝、すべての国教会では同じ聖書の箇所が朗読されるはずだ。国教会では何百年も前から、朝夕の祈りには、その日ごとに決められた箇所を読むように定められている。われわれがここに来た目的は、何百年も前からこの日朗読されると決まっていた聖書の文章を聞くことだ。この規則ができたのは、一年前でもなければ、十年前でもない。数百年前である。しっ、静かに。聖書の朗読がはじまるところだ。読師が読みだしたのは、『イザヤ書』の31章である。

 なぜなら、主がわたしにこう言われたからだ。獅子や若獅子が獲物を捕らえてうなるとき、多くの羊飼いがそれに対して呼び集められても、獅子はその声を恐れず喚声にたじろぐことはない。万軍の主は、そのようにシオンの山〔エルサレム〕とその丘の上に降って戦われる。鳥が舞うとき、万軍の主はエルサレムを守られる。これを守り、解放し、放置しつつ保護される。
イザヤ書 31章4~5節

 これこそ、エルサレムは《鳥が舞うとき》解放されるという古代予言者の予言なのだ。《舞う鳥》は三つのことをする。《守り》、《解放し》、《保護する》のだ。とはいえ、解放と防衛は明らかに別ものだ。都市を解放するためには、攻撃しなければならない。町を守るには、町の中にいる必要がある。また一方では、攻撃や防衛は都市を保護することにはなりそうもない。
 われわれは一両日待って、この小さな教会をふたたび訪れることになる。問題の日は、12月10日だ。この日の朝の聖書読誦に、耳をかたむけよう。

 シオンを仰ぎ見よ、我らの祝祭の都を。
あなたの目はエルサレムを見る。それは安らかな住まい、移されることのない天幕。その杭は永遠に抜かれることなく一本の綱も断たれることはない。
 しかし、栄光ある主は、多くの川、幅広い流れのある地で、我らに臨まれるだろう。
イザヤ書 33章20~21節

 数千年前に、ある種の不可解なメッセージが用意され、いまこうして聖書の朗読を通じて、われわれに伝えられたと感じたとしても無理はあるまい。何千年も前に書かれた予言者の言葉は、はるか後代にこの国の国教会で読誦されるべく計画されたものだったのだ。しかも、内容たるや、当日の朝刊といっていいくらいだ!
 問題の12月10日、イギリス軍はエルサレム市内にいた。何千人もの兵士が、英国国教会の信者で、国教会には属さない連中も多かったが、いっしょに礼拝に加わった。もちろん、朗読されたのは、イギリス本国と同じ箇所だった。
 活字の魔力のおかげで、イギリスでの朝の礼拝に出席したわれわれは、今度が12月10日に行われたエルサレム駐留部隊の礼拝に参加することにしよう。前もって決められた朗読箇所を読みあげる仕官の声に、耳をかたむけよう。

 慰めよ、わたしの民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。
 エルサレムに慰めの言葉をかけ、彼女〔エルサレム〕に呼びかけよ、苦役の時は今に満ち、彼女の咎は償われた、と。
 罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けた、と。
イザヤ書 40章1~2節

 この箇所は、担当士官が当日の朝読むことに決めたというほうが、もっと本当らしくないだろうか。それどころか、この朝の礼拝のためにとくに書かれた箇所だったというほうが、もっと真実に近いのではないか。以下の事実は、すべてのたんなる偶然の一致にすぎないのだろうか。
★ エルサレムは予言された年に解放された。
★ しかも予言された当日に。
★ 何千年も前に書かれ、何百年も前に用意された祈禱書を、読誦に使っているのが、エルサレムを解放した軍隊の属する国の国教会にほかならず、しかもその内容がこの特定の数日間に起きた出来事についてのものである。
 この軍隊の礼拝式をあとにして、群衆の中に加わろう。ここでは不吉な噂が、ささやかれている。トルコ軍は撤退したものの、町を破壊しようと、砲門をいまでもこちらに向けたままらしい。
 空中にエンジンのうなりが満ちた。英国陸軍航空隊の飛行機が、トルコ軍の前線へ飛び立ったのだ。英国陸軍航空隊がエルサレムでの作戦にはたした役割ははかりしれないと、あらゆる軍事評論家が認めている。空中戦は揺籃期にあったとはいえ、しごく効果的だった。トルコ軍は聖なる都の砲撃計画をとりやめ、しかも二千五百年前、予言者イザヤが予言したとおりの事態が起きた。すなわち、《鳥が舞うとき、万軍の主はエルサレムを守られる。これを守り、解放し、放置しつつ保護される。》(イザヤ書)。
 紀元前700年ころ、これを書いた予言者イザヤは、彼の時代からするとはるかな未来に属する出来事を予知していたのだ。彼の未来幻視能力が時のベールを貫いたおかげで、《舞う鳥》としか言いようがないものが見えたのだ。人間が航空機を使うようになる時代は、まだ二千六百年ほども先なのに、つねにヴィジョンに忠実な予言者は、見たままを語ったわけだ。問題の都市が、まったく予言者の予言どおりに《守られ》、《解放され》、《保護》されたのは、偶然だろうか。その日、町の上空を英国陸軍航空隊の《鳥》が、舞ったのは偶然だろうか。
 また、作戦を遂行した飛行中隊のモットーが、《翼を広げ、約束を守る》だった事実も、ただの偶然の一致で片づけられるだろうか。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
相変わらず、シンクロニシティーは見事である。というより、今までのも全部こじつけだと言う人は、それだけこじつけられるかどうか客観的に判断した方がいいだろう。(否定派、肯定派、中立派で議論するとか。)
ただし、絶対に「戦闘機」を見て「鳥」なんて言ったとは思わない。どう考えても、意味不明か化け物だろう。

おまけ