参考資料737 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

紀元前七年の出来事
「紀元前七年で最大の占星術上の事件は、前述のように、木星(当時の占星術師が“王の星”と見なしていた星)と土星(“イスラエルの守護者”として知られていた星)の魚座(古代の占星術師にとって“救世主の星座”だった)でのだった。
 古代の聖典におさめられている、大勢の予言者による“神なる救世主”の到来についての予言は、当時も今日と同様に知られていた。当時の人びとは「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる」(ミカ書5章2節)という予言を知っていたはずだ。
“賢者”とも“博士”とも“占星術の学者”とも呼ばれた者たちは、だから救世主の生まれる場所を知っていたのである。星々のメッセージはあまりにも明らかであって、それを無視できる占星術師などいるはずがなかった―――なにしろ“王の星”と“イスラエルの守護者の星”が“救世主の星座”で出会ったのだ。
 紀元前七年の二月末、古代の天文学者たちが天を見つめていると、木星が魚座に入って土星のほうへ近寄っていった―――いま起ころうとしているのは、彼らが長いあいだ待ち焦がれていた重大な出来事だった。だが、このとき彼らの目に映ったのは落胆を誘う光景だった。なぜならこの日、太陽もまた魚座に位置していたために、重なりあったふたつの星の輝きが陽光でかき消されてしまったからである。
 けれども、占星術師たちは四月十二日の夜明けに、もっとよく合を見ることができた。“イスラエル”、“救世主”、“王”の三語が彼らの脳裏にくっきりと刻みこまれていたに違いない。
 三月二十九日には、同じ星々が二時間見えていたはずである。紀元前七年の十二月四日には、木星と土星との魚座における最後の出会いが起こった。
 救世主の到来に関する予言が成就したと言えるほど重要な人物が、紀元前七年に生まれただろうか?そう、ナザレのイエスだ。「でも、イエスが生まれたのは西暦一年の十二月二十五日じゃないか」と思う読者がいるだろうから、その疑問に答えておこう。
 イエスは西暦一年生まれではないし、十二月二十五日が誕生日でもない。西暦という魔法は不正確なのだ。西暦はキリストの生誕とはほとんど無関係である。むしろ、キリスト生誕の日に起点をさかのぼらせた新しい暦を作成せよ、と533年に命じられたスキタイ人修道士ディオニシウス・イグジギュアスの想像力の産物と考えるべきなのだ。案の定、彼は計算違いをやらかして起点を何年も狂わせてしまった。『新約聖書』の次の記述から、イエス生誕の年をだいたい推測することができる。

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。
マタイによる福音書 2章1節

 ヘロデ王が紀元前四年に死んだのは歴史的事実である。
 イエスの生誕とヘロデ王の死のあいだにはいくつかの出来事が起こっている。イエスが生まれてからヘロデ王が死ぬまでに数年の間隔がなければ矛盾が生じてしまう。まずイエスがエジプトに避難するきっかけとなった“幼児の虐殺”がある。シーザーが命じた住民登録の終了を待たずにヘロデがそんなことをしたとは思えないし、そのような住民登録は2,3ヵ月で終わるものではなかった。人びとは指定された町まではるばると旅しなければならなかったし、当然行われたであろう照合作業をふくめて、全工程が終了するまでには長い時間がかかったと思われる。したがって、聖書の物語によれば、イエスの生誕が紀元前七年より大きく遅れることはありえないのだ。
 そういうわけで、クリスマスにわたしたちが読む、以下に引用するおとぎ話じみた物語が事実だったとわかるのである。

 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」
マタイによる福音書 2章1,2節

「東方で」という言葉をより正確に翻訳すれば、《明け染めたばかりの空に》となる。事実もまったくこのとおりであって、木星が土星と合の位置に動いていき―――見たところひとつの明るい光源となったのは、早朝だったのである。
《その方の星》というのが、どうしてその方の星なのだ?それは、魚座が“救世主の星座”だからだ!《ユダヤの王としてお生まれになった方は、どこにおられますか》なぜ彼らはユダヤの王を探していたのだろう?それは木星が“王の星”であり、土星が“イスラエルの守護者”と考えられていたからだ。どうして彼らはベツレヘムを訪れたのか?なぜなら古代の予言者がそこで救世主が生まれると予言していたからだ。」
「Ⅴ・ダンスタンの終末大予言(上)」ヴィクター・ダンスタン著・幸島研次訳より

感想
>「でも、イエスが生まれたのは西暦一年の十二月二十五日じゃないか」と思う読者がいるだろうから、その疑問に答えておこう。

恥ずかしながら、ずっと紀元前4年だと思っていました。小学校ぐらいの時に西暦0年じゃないんだよとか言われませんでした?
http://www12.plala.or.jp/rekisi/kirisuto.html
補足:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9A%A6#.E8.A5.BF.E6.9A.A6.E5.85.83.E5.B9.B4.E3.81.A8.E3.82.A4.E3.82.A8.E3.82.B9.E7.94.9F.E5.B9.B4.E3.81.AE.E3.82.BA.E3.83.AC

因みに、「ヨハネの黙示録」に未来の救世主の生誕シーンが描かれているが、以前から疑問に思っていたのだが、昔ならともかく現代では予言や占いで未来の救世主を殺そうとするだろうか。それより誰から生まれてくるかその時にははっきりしているのではないだろうか。http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12029629577.html#main(12章3~9節)

おまけ