参考資料244 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「阿含宗のよくない点ばかりあげてしまったが、システム、創始者の法力から考えてみると、我が国においては一番すぐれていると言える(他の宗教に至っては、もはや論ずるに値しない)。阿含宗のすぐれていると思われる点を一応列挙してみよう。
①教理の中に阿含教が含まれている。
②千日と期間を区切って誰もが入会しやすい状態をつくっている。
③毎日必ず修行させている。
④マスコミをうまく使って、一般大衆に宗教の必要性をアピールしている。
⑤袈裟や供養箱を渡して修行者の自覚を促している。
伝法会などで高度な修行法も伝授している。
⑦創始者が念力を持っているし、宗教についてかなり研究をしている。
⑧“解脱”という言葉を使っている。
ただし、一番すぐれていると思われる阿含宗ですら、前にあげたような多くの矛盾をかかえているのだ。これが現代宗教の現状なのである。千座行期間中の心の乱れ、不幸の連続がなぜ起こったか、今振り返ってみるとよくわかる。それは、千座行が「所作クラス」という初歩の修行段階だったからだ。それまで、私は原始仏典と阿含教典に基づいて、「智恵クラス」の修行をしていたのである。修行には四つの段階(クラス)がある。初歩の所作クラスから始まって、行クラス・智恵クラス・無上智恵クラスへと進んでいく。無上智恵クラスを終えることができた者は、解脱者となる。その智恵クラスの修行をしていた私が、逆行して所作クラスへ入ってしまったところに、悪い諸現象が起った原因があったように思われる。それに加えて、創始者のエネルギーの質が私に合わなかったらしい。実は、智恵クラスの修行者であった私には、この結末は前もってわかっていたのだ。当時、周囲の人間には「私はすべてを失ってしまうかもしれない」と言っている。あえて、千座行を行なったのは、私が挫折の因縁を持って生まれていたからだ。千座行を中途で投げ出してしまったら、修行はさらに後退してしまう。破滅が待っていても、また出発できると信じていたし、耐え抜くことも修行の一つであるのもよく知っていた。このような理由で、そのまま不幸へ向かってつき進んでいってしまった次第である。」
「超能力「秘密の開発法」麻原彰晃著より

感想
>その智恵クラスの修行をしていた私が、逆行して所作クラスへ入ってしまったところに、悪い諸現象が起った原因があったように思われる。

サラリーマン時代、途中入社してきた仕事の出来る人が新しい仕事を覚えながらポジションとか色々大変だろうなぁと見ていたのを思い出した。

>当時、周囲の人間には「私はすべてを失ってしまうかもしれない」と言っている。

ウィキペディアに「このころより知人に「最も儲かるビジネスは何か知っているか? それは宗教だよ」ともらしていた」とあるが、こういう事をばらす奴も最低だね。結局、同じ精神レベルの奴らが集まるんだろうね。

>あえて、千座行を行なったのは、私が挫折の因縁を持って生まれていたからだ。

所詮、修行なんかしたって「挫折の因縁」は解消されませんでしたな。( ´艸`)

おまけ