「参考資料107」の補足 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「王仁三郎はかつて、「未完成なる世界には、憎悪、憤怒、怨恨、嫉妬、闘争などあらゆる邪悪が充満」するといった。また、ナオの言葉によれば、現在の社会は「われよしの世」(エゴイズム)ということになる。しかし、テクノロジーの進化をおし進めたのは、やはりこの現界の個体の欲望による、自由拡大欲求であったこともまた、事実である。つまり、人間に進化の契機をあたえたのも、また破滅の契機をあたえたのも、根本はこの現界のシステムなのである。この現界システムを、王仁三郎は「体主霊従」とよんだ。そして、「ミロクの世」とは、すなわち、このような現界の個体性が、霊的原理のなかに調和することにほかならない。これは、低次の現界システムでの矛盾は、いわば霊的レベルで解消され、それぞれの個体の、現界レベルでの自由な動きも、じつは霊界の意志によって動かされるようになるという、霊界と現界の和合状態を意味する。これを王仁三郎は「霊主体従」とよんだ。もちろん、いきなりそういう状態が現出するのではなく、いくぶんの過渡期というものが想定されるだろうが・・・・。
・・・・「ミロクの世」とはなにか。それは<立て替え立て直し>のあとにくる「末代つづく神国の世」であり、いわば人類進化の新しい段階に位置づけられる理想社会である。王仁三郎とナオの予言には、「破局」と「再生」、「混乱」と「統合」の二つのイメージが「合わせ鏡」のように組み合わされている。・・・・彼の予言によれば、人類は「ミロクの世」にいたるまえに、どうしても、破局的な混乱状態を越さねばならない、というのである。この再生にいたるカタストロフィを、ナオと王仁三郎は「大峠」と表現した。いったい大峠とはどんな峠なのか。またこの峠を越えるのはいつなのだろうか。」
「出口王仁三郎の霊界からの警告」武田崇元著より

感想
一部の人は1999年7月だと考えたし、また一部の人は2012年12月だと考えているだろう。しかし、「新約聖書 ペテロの第二の手紙 第3章」に「主の日は盗人のように襲って来る」とあり、予言が当たると仮定して結果から考えると、決して「大峠」がいつなのかは誰にも分からない。「神の計画」とはそういうものだろう。(神の計画があるとしたらの話だけどね。)http://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-11134513815.html

おまけ