参考資料46 | シフル・ド・ノストラダムス

シフル・ド・ノストラダムス

ノストラダムスの暗号解読

「日蓮が不思議な宗教者であるという印象をあたえるもうひとつの理由は、日蓮にまつわる“奇跡”や伝説が多いことである。それだけに謎につつまれた部分があまた残されている。とくに青年日蓮の修行時代については、その大まかな行跡はわかるにしても、その子細はいまだにつまびらかではない。もちろん、『法華経』を仏教のなかで最高の経典と見定めて以降の布教活動時代になると記録が多い。なかでも、現代の常識からすれば不可解な“奇跡”が数多く報告されてる点は注目に値する。やはり“霊能者”かと思わせる部分がチラチラと垣間見える。そして、他を圧するその激越な布教活動のありさまは、当時の常識からしても尋常一様でなく、とても“常人”のなせるワザではなかった。“信心の強さ”ということももちろんいえようが、なにかそれだけではいいつくせない異様さがつきまとう。そのせいか、現代にいたるまで、日蓮に関しては、好き嫌いの評価が極端に分かれるのだ。いったんその説教に魅了された人は、とことんのめりこんでしまうし、逆に日蓮の“狂信的”ともいえる信仰態度に嫌悪感を抱く人は、日蓮のどの言葉をとっても(たとえその部分が歴史的あるいは学問的に正しかったとしても)耳をかそうとはしないのである。日本の宗教者あるいは一宗の開祖で、これほど毀誉褒貶の激しい人物もめずらしいだろう。しかし、庶民に日蓮の“ファン”が多いのも事実である。“ファン”などといったら信者の方からお目玉をくらいそうだが、実際、かならずしも信者とはいえないような単純ないわゆる“ファン”も多かったのである。
・・・・当時、日蓮は他宗の誤りを正そうと、しきりに「公場対決」を申しでた。「公場対決」とは、幕府なり権力者なりを判定人として、公の場で仏教の教義問答をおこない、その正否をきめるいわば“公開論争”のことだ。しかし幕府も他宗もこれを無視した。じつは理詰めで対決すれば日蓮にはかなわないというのが真相だったようだ。事実、真言宗などで日蓮と教義論争をした僧が何人もいるが、ことごとく日蓮の論陣の前に敗退させられている。日蓮はそれほど手強い論客だったのだ。当時、『大蔵経』の深い学識に裏打ちされ、あまたの経や論から縦横に引用して相手を論破する力量をもちあわせていた僧は、日蓮以外にそんなに多くはいなかったのである。おそらく修行時代に、血のにじむような修学に打ちこんだ結果なのだろう。だから日蓮の論証力とその自信のほどは、あたるべからざるものがあった。もし、かりに日蓮がやんごとない出自の僧侶であったとしたら、それほどまでに無視されたり毛嫌いされたりすることはなかっただろう。事態はもう少し違った方向へ展開していたかもしれない。しかし日蓮は、本人もいっているように、「民の子」であり「片海の海女の子」であり「海辺の旃陀羅が子」であった。権威ある幕府やその庇護下にある公認宗教にとって、出自不明の“怪僧”に「公場対決」などで誇りを傷つけられることは耐えられないことだったにちがいない。そこで日蓮を無視した。しかし日蓮の“使命感”はいや増すばかり。いっそう激しく既成の権威にくってかかる。多少の圧力では日蓮が屈服しないとわかると、ついに権力は牙をむき、迫害するようになったのである。」
・・・・日蓮は、もちろん最初から一宗一派をひらこうと目論んでいたわけではない。ここで「日蓮法華宗」と呼ぶのは、「天台法華宗」と区別するためであって、当時、日蓮自身が「日蓮宗」とか「日蓮法華宗」とか自称していたということではない。日蓮自身はあくまでも「法華経の行者たらん」と志していただけであって、別に新興宗教を興そうとしていたわけではない。現代とちがって“新興宗教はカネになる”ような時代ではなかったのだ。むしろ“新興宗教には生命の危険がつきまとう”ような時代で、世俗的・物質的な見返りは何ひとつ期待できなかったのである。事実、日蓮は生涯“貧乏ぐらし”を余儀なくされたのであって、日蓮にとって「真理を世に弘める」悦びにくらべれば物質的な豊かさなど、毛ほども問題にならなかったのだ。その点、現代の宗教リーダーたちは、いまのあまりにも物質的に恵まれた生活を少しは反省すべきではないか。大邸宅に住み、教団職員や信者にかしずかれ、超高級専用車を乗りまわす現状は、“巨大企業の経営者”以外のなにものでもない。高潔・崇高な精神は、けっしてそのような、ありあまる物財に囲まれた贅沢な生活を求めたりはしないものだ。精神の貧しさが物財の豊かさを求めるのである。しかし、現代の物欲に溺れたニセモノたちとちがって、日蓮はホンモノだった。日蓮が、ハッキリと他宗と一線を画して、独自の考えかたを打ちだしたのは建長五年(1253年)四月二十八日のことだった。そして迫害がはじまったのもまた、この日だったのである。この日は「日蓮宗」の開教の日とされている。」
「日蓮の大予言」アポカリプス21研究会著

おまけ