あー、あっという間に2月だ。

シューカツの山場までの時間は短すぎ。

仕事はじめまでは長すぎ~。



ぐっすり眠って、ばっちりゴーオンジャーの時間に起床。

ケガレシア達の考えはそれ自体外道なものではないこと、

究極の悪が単に立場の違うちょっと乱暴な人でなく、

独裁者に変わったことが、

5人戦隊モノのシンプルな勧善懲悪らしくなく、意外だった。

今日の逢沢りなはフツ―だった。

ディケイドは初回ほど面白くなかった。

展開が淡泊かつ強引なのと、

士が女刑事を殴るシーンのショック大きかったからと思われる。

鼻血出るくらい強く殴るなんて。

男が女に手を出すなんて。

子どもの見る番組でそれはないです。

そうじゃんくても、男はキホン女の子を守ってあげなきゃダメで、

血を出させるのが最善の策だったとしても、もっと優しくしてあげなきゃいかん。

そしてディケイドは最初から強いです。



ライダーレビュー、ごはん、昨日のレビュー、質問練り、欲求の処理であっという間に13時。

一つひとつの作業が遅すぎるのかな。

勉強もスクラップも全然できていません。



新宿で大学の先輩Sさんと会った。

相変わらずアクティブ。

原宿から新宿まで走って息全然上がってないって、どーいうことだよ。

で、肝心のシューカツ相談は、自分の甘さをまる裸にされた気分だった。

Sさんは、母経由で聞くよりずっと前向きに仕事できてる感じ。

たぶん僕は彼みたいなアツい人間が本来ニガテで、

彼は僕みたいなネガティヴな人間が本体ニガテなのだろうと思うけど、

何とかそこでは衝突せずに話ができた。



収穫としては、あまり話を大きくし過ぎないこと
(なぜならそれは100年生きたとしても答えが出るようなものじゃないから)、

1人のことを幸せにすることをもっと具体的にしていく、考えていくことが大事ってこと、

僕が最も不得意な想像力が大きな組織で歯車として働く上では大事ってこと、

自分の考えを持って社員やOBにぶつけてみること、

「自分だけの正しさ」でもっとヤリタイコトを考えてもいんじゃないかなーということ、

かなー。


あと、気づいたら自分が「選択」とか「自分の道をちゃんと自分で決める」とか

「意思決定」とか、そういう単語を頻発していた。

インフラを途上国に導入する是非とか、豊かさの定義とか、経済と教育の両立とか

(教育水準の向上や勉強した末に優秀な人材の受け皿となる社会の成熟)

には経済がよくなる必要がある。

僕はまず教育をしっかりしてから経済をどうするかはその教育を受けた人が考えろ、と

思ってたけど、そのプロセスを踏むのにも、経済やインフラの整備の同時進行が必要なのだ。

抽象的・時に挑戦的なことを言ってみた。

結構テキトーなことをズケズケと言って、カチンときた部分もあるだろが、

真面目に対応してくれた。

不登校の子どもたちに何かできたらいいとか言ったら、

「じゃあ自分はどうするの」と言われてビジョンが無かったり、

「ベネッセにずっといるつもりはないです」と言って「何で?」と言われ、

「学歴偏重を促すあの会社で『自分のいいと思う教育』の手助けができる気がしないっす」

と言ったところ、

「そうーいうの社員に話してみればいいんだよ」と言われた。

「頭で考えてるとこが多い」と指摘され、「またそれか」と思いつつ、

「でも久しぶりだな、それ言われたの」とも思った。

確かに僕は会社という大まかな全体に対する失望や、

自分は理解され得ないという絶望が大き過ぎるのかも。

大切なこと、自分自身を見失いたくないという思いが強過ぎて、防衛に走っているのだな。

まぁ大切なことを考え続けられるポジション、環境を選びとることは重要だとは、

Sさんも言ってたけど。

とにもかくにも、自分の仮説や志を実現するために、

まずはオープンマインドになる必要があるってことは分かった。

Sさんはつくづく「絶対内定」みたいな人だと思った。

でも、志と自分の快楽、最も力を発揮できそうな環境と職種のバランスに関しては、

まだ悩み中だそうだ。



ユニクロでお買いもの。

サオリリスパーカと薄い紫のニット、靴下6足を購入。

ちょっと買い物失敗したかも。

ニットと靴下は妥協し過ぎ。

ニットはもっとビビッドなカラーが欲しかった。



そんなこんなで帰りが遅くなり、気づいたら17時過ぎになっていた。

まぁポジャ丼食べようとして食べれなかったり…とかしてるからねぇ…。

結局すき屋で牛丼1.5盛。



帰宅。

天地人見たり、日記の続き書いたり。

勉強ができん。



12時過ぎで母親とケンカ。

分からないことは、親子なんだし、メカについてはあんたの方が強いんだから

と全面的に頼ろうとする母と、

せめてどこまで分からないかを自分なりに試して調べて整理してから聞くべきだという僕の、

どっちもそれなりに正論な価値観の闘い。

正直、自分が正しいとは思ったが、第三者から見ればどちらの正しさも同じくらいで、

お互いの正しさに引きずり込もうとする態度が過ちなんだそう。

譲歩することとと歩み寄ることが必要で、それには自分の信念を時として曲げ、

妥協しないといけないのだ。

それをするのがツライ僕は、頑固者なんだと、この時初めて思い知ったような気がした。

僕は僕という人間の人生を全うするために、僕が大切にしてきたいくつかの小さな信念を、

できるだけ守り貫いていきたいと思っているのだが、それはちょっと頑ななのだ。

んー、分かるような分かりたくないような。

本当に大事なものを選び抜かないとなー。

そして話はいつものようにズレ、自分を支える人、尊敬する人のハナシになった。

このひとの苦しみを想ったら自分の苦しみなんかへっちゃらだとか、

全人的に傾倒するくらいに立派な人、

理屈抜きに敬いたくなる人。

僕はそんな人に未だかつて会ったことないと言い放ったがウソだった。

僕の心の支えであり理想像はしっかりといる。

僕はいつまで彼女を追い求め続けるのだろう。

恋愛の相手でなく、擬人化した志として彼女をこの胸に生かし続けると心に決めたけれど、

僕は果たして本当にそれができるのか。

それって正しいことなんだろうか。

それを何が何でも貫くことは、

本当にちゃんと自分の人生を幸せに生きることになるのだろうか。

「自由」に対し、誠実であれているのだろうか。