公開から1ヶ月ほど経ったので、ネタバレガッツリある感想を書いていこうかなと思います。見たことある前提でダラダラと書いていくので、まだ見てないですって人にはなんのこっちゃ????って感じだと思うのでブラウザバック推奨です。あと、結構ネガティブな感想が多いので、そういうのを一切見たくないという方もブラウザバックしていただければと思います。そしてこれは個人の感想でWishを高評価する方を否定するものではありません。それだけはご理解いただきたく思います。

ちなみに自分は吹き替えを1回しか見ていないので見逃しているシーンや字幕で提示されている情報は知らないので、まじでただ感じたことを綴っているだけです。深い考察もなにもないです。思ったことをそのまま書いてるだけですのでご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで感想です。

映画館に行く前から不評なのを聞いていたので、覚悟を持って見に行きました。


結果「いや、言うほど悪くはなかったが…?」というのが正直な感想でした。ただやっぱりマグニフィコ王の最後がどうにも納得できず、モヤモヤとした気持ちを抱えながら内容を思い返し帰りの電車に揺られていると段々と「いや、これダメだろ」って気持ちが膨らんできました笑


視聴後はそうでもなかったのに時間が経てば経つほどモヤモヤがでかくなる。そんな作品でした。というわけで個人的に良い点と気になった点に分けて書いていきたいと思います。

 

◯良かった点

 

1.楽曲

 

Wishの楽曲はどれも良いなと感じました。

あ、ごめんなさい「真実を掲げ」以外ですね。なんでこれが個人的にウケなかったかは後半に書きます。「ようこそ!ロサス王国へ」や「ウィッシュ~この願い~」もぐっと惹きつけられる曲に感じました。アナ雪Ⅱみたいに難しい楽曲には感じなかったので逆に親しみやすいと感じました。


あと生田絵梨花さんの歌声が素晴らしかったですね。吹き替えの演技も素晴らしかったですが、歌が本当に素敵でした。「輝く願い」のマグニフィコ王とのデュエットも大変良かった。癖強福山に全く負けてないし良い感じに調和できていてあれは良かったですね。何度も聞きたくなりました。

 

 

 

2.キャラデザ

 

アーシャのこと「ブス」「顔が汚い」っていうのをちょくちょく見かけたんですが、あれでブスだったらこの世の女(少なくとも私)はどう生きれば良いんじゃ。そんなことで「君たちはどう生きるか」と問いかけられたくないぜ…。予告の時点からアーシャのビジュかなり好みだったし動いている彼女もイキイキとしていてすごく好感持てました。


パンフのデザインアート見ても思ったがバジーマまーーーじかわいい。風花雪月(FE)のマリアンヌみを感じました。完全にオタクの感想です。ごめんなさい。かわいい。パンフで改めて7人の小人モチーフの友人たちを眺めたけど、それぞれ良さが詰まったキャラデザになっていたのでもっと動いて喋る姿が見たかった。

マグニフィコ王?100点満点以外に言うことある?

 

 

 

3.2Dと3Dと合わせたアニメーション

 

中途半端で安っぽく見えるという感想がよく見かけられましたが、個人的にはあれくらいがちょうどいいかなと思いました。というか普段きかんしゃのCGアニメーション見てるせいかそれほど気にならなかった笑


アナ雪Ⅱとかに比べるとリアリティはないし、動いている時の布の動きがのっぺりしていたり今までのディズニーのGCアニメーションを考えると確かに安っぽいなと感じる。ただ、水彩画特有の透明感も感じられ、どちらかというと2Dアニメ好きな人間としてはスッと受け入れられました。初の試みだと思ったけどそうだ短編アニメーションの「紙飛行機」とかでやってましたね。あれ大好き。


今回のWishみたいなアニメーションも見たいし、紙飛行機のようなエモい感じのもまた見たいですね。

 

 

 

と、私が良いなと思ったのはこの3点です。

そう、全部がダメってわけじゃなかったんです。これらも許せん!納得いかん!って人も結構いるので本当に個人の感想です。ていうかみんな個人の感想だけどね笑

さて、ここからはうーん…と感じた点です。

 

 

 

◯気になった点

 

1.アーシャの行動理由がわからない

 

アーシャが最初から「願いは誰かに叶えてもらうものではなく、自分で叶えるもの」という主張のもと行動しているならまだわかるんだけど、冒頭の「ようこそ!ロサス王国へ」で楽しそうに歌いながら観光ガイドを務め、国王にも好意を持っているのを見ると、一時の感情で動いているとしか見えないんですよね。動機が薄っぺらい。

 

100歳になるおじいちゃん(サビーノ)の願いを叶えてほしいと思う気持ちはわかる。けれど、王との面接を利用して願いを叶えて貰おうと斡旋するのはちょっと厚かましいのではと思ってしまう。これはお国柄かもしれませんが。

 

それで願いを叶えられないと断られて(理由諸々をきちんと説明されている)、だったら願いを開放しようと動き出すんですが、最初から国民全員の願いを開放しようとするならまだしも、結局サビーノ1人の願いだけを持ち出すあたり独りよがりな行動にしか見えない。感情に任せて動いているので見ている側はあまりアーシャに感情移入できないんですよね。

 

100歳になったサビーノの誕生日を祝うために母親から「ケーキを用意するのを手伝って」と言われて「そういうの得意じゃないから」とあっさり断る時点で個人的に「は?」と思ってしまったし、いやでも女性=ケーキ作りって考えるのも良くないよなと考え直し見続け、願い事が当選しなかった事によりお通夜状態の家族に「まあ楽しくケーキとお茶をいただこうじゃないか!」と場の空気を変えようとしたサビーノの気遣いを無下にするのがアーシャ…。おじいちゃん今日の主賓なのに…!

そして今その話する?というタイミングで王から聞かされた真実をありのまま伝え(願いは一生叶わない!)、サビーノがとうとう怒ってしまう。100歳にあんなブチギレ描写させないでくれ~!血管切れないかめちゃめちゃ心配した(現実と虚構が区別できなオタクなので)

 

そこからまた感情を整理できず飛び出し、CMでよく見るテーマソング歌い出すから「今!?!?!」とめちゃくちゃ衝撃を受けました。歌う暇あるなら今すぐ帰っておじいちゃんに謝るなりお誕生日会仕切り直して~!!!!


そんなような行動がずーーーーーーーーっと続くので、終始頭にハテナが浮かんだままなんですよね。アーシャの行動理由(動機)がわからない。私の想像力が足りないだけなのかもしれないけれど。

 

 

 

2.脚本の関係でマグニフィコ王がヴィランにされている

 

まあ多くの方々が言ってると思いますが、あの人ヴィランなんですかね?

最恐のヴィランと称されているけれど、個人的に歴代最恐はフロロー判事なのでそれと比べたらめっちゃ聖人に写ってしまう…。

 

そも、この映画のテーマである「願いの力」ですが、その願いを自力で成し遂げた人ってマグニフィコ王しか出てこないんですよね、この作品。ED見ると最終的にサビーノも願いを叶えたんだなって感じですが、多分あれはそこまで努力しなくてもできたのでは…と思ってしまう。

 

マグニフィコ王は過去に家族を殺されて天涯孤独となり、あの時自分に魔法が使えていれば…!という思いから独学で魔法を勉強し、一代でロサス王国を建国し、観光立国として栄えさせて人種諸々問わずに移民を受け入れるということを成し遂げている。すごすぎる。

 

下調べ無しで見に行ったので、ロサス王国ってズートピアみたいに架空の世界なのかなって思って見てたんですが、しっかり中世ヨーロッパ(イベリア半島に浮かぶ島)という時代設定あることに衝撃を受けました。中世においてその倫理観持っている王様ってすごくない…?独裁国家として映している感じがするけれど民主化自体そこまで進んでいない時代だし仕方ないのでは…?

 

しかもマグニフィコ王、アーシャのお父さんが亡くなった際に援助をしていたって言及しているんですよ。しっかり恩があるじゃないかアーシャ!!!もう少しマグニフィコ王に寛容になってくれ…。「願いを独り占めしている」っていうのもよくわからない。マグニフィコ王は返さないけれど願いが壊れないように大切に保管しているのに、なぜそれが「独り占め」につながるのか。一緒にデュエットした際に見せたマグニフィコ王の自愛に満ちた表情を見たか?見てなかったね、サビーノの願い見つけるのに必死だったから。

 

後半、禁書に手を出して闇落ちしてしまうけれど、そうさせたのは誰?って話なんですよね。


マグニフィコ王は一人ですべてを抱えてしまったのがよくなかったですね。物事全て自分の監視下にないと恐怖に支配されてしまう(もしくは納得しない)状態になっていて、王妃のアマヤにさえ頼ろうとしなかった。もしかしたらナルシスト特有(?)のカッコいい部分しか見せたくないという見栄みたいなものがあったのかもしれないし、過去の出来事がトラウマとなっていて軽率に人を信頼できずにいたのかもしれない。

もしくはパターナリズムかもしれないし、思想統制かもしれない。

そこはもう個々人の解釈(妄想)に委ねられてしまうのですが、根っからの悪人にはどうしても見えないと思います。

 

後半から突然人が変わったかのようにすぐ禁書に手を出してしまうので、尺の都合で途中経過は省略してとりあえずわかりやすく悪役になってもらったという風にしか見えないんですよね。もっと「悪役」としての描写をしてもらえれば魅力的なヴィランになれたのではないかなと…。

 

 

 

3.キャラクターの掘り下げが少ない

 

アーシャってどんなキャラ?と言われても正直どう表現していいかわからない。


おじいちゃんのために願いを奪還してきた活動的な子って言えはするけど、多分予告見た人は「知ってる」って言いそう。パンフレットに記載されていた面が本編からは伝わってこなかったんですよね。本編見たからこそ見えてくるキャラクター造形っていうのが本当に少ない。

 

せっかく7人の小人モチーフの友達が出てきているのに、ただの背景と化している。せいぜいダリアがいいところですが、見終わったあと7人の名前全員忘れた。というか覚えられなかったですね。各々活躍の場が少ないし、多分「えっ!?」という驚きシーンとして描写されたであろうサイモンの裏切り(願いを叶えてもらうためにアーシャのことを王に密告)をした彼の名でさえ覚えていられなかった…。

 

願いを献上してから無気力状態になったって言っているけど、願いを献上する前の彼の描写が一切ないので「そ、そうなんだ…?」としか思えないし、「願いを献上すると無気力になる」っていうのもよく分からなかったですね。だってロサス国民みんな元気にハッピーに過ごしていましたし、アーシャも歌でそう言っていたから…。


ダリアの身体障害設定に関しては、視聴時特に何も思いませんでした。身体障害者である必要がない=だったらどっちだって良いのでは?と思うので、(多様性のために盛られた設定というのは否めないけれど)それが不必要だとは思いません。ただ、パンフを見る限り彼女のアイデンテディが「障害者」になってしまっているのでそれは違うぞと言いたい。というかパンフに書かれている内容全然意味わからないので誰か再翻訳してほしいです。

 

ダリアの共感力とチャレンジ精神は、松葉杖と歩き方がさり気なく示している脳血管性障害によって決めつけらることを拒むことで強調されている。(原文ママ)

 

↑どういうこっちゃ。

しかしここで初めて知ることになるのが、この脚の障害、事故(物理)とか先天性ではなく、「脳血管性障害(脳卒中とかなんですかね?制作に多発性硬化症の方が携わったとのことなんですがソレなんですかね?)」によるものなんですよね。パンフ読んでおったまげました。それは魔法で治せるなら治してほしいし、それができる希望がマグニフィコ王だったのでは…?(現在でも完治する治療法はない)

 

思えば、アーシャの父が亡くなったのも病気によるものだったんだっけ…?うろ覚え且つアーシャの父が何を願ったのかがわからないので何ともいえませんが、父の病気は魔法で治せなかったのか。もしくはそういう制約があったのか。

魔法で願いを叶えるというとディズニーでは色んなキャラが出てきますが、その中でもジーニーはそこそこ制約が設けられています。人を殺すこと、気持ちを操作すること、死人を生き返らせること。こういった制約がマグニフィコ王の魔法にもあったのでしょうか?わかりませんが。

 

「かもしれない妄想」ばっかりなので何ら意味がありませんが、それくらい描写(情報)が少ないんですよね。

マグニフィコ王が唯一掘り下げがあったかなって感じですが、それでも王の過去やアマヤ王妃との関係性など、見えてこない部分が多い。

 

お城のキッチンで働いているというダリアのところにはお友達がたくさん来ているけれど彼らも働いているの?アレルギー持ちになんで鶏小屋の世話させてるの?ガーボは常に怒っている(おこりんぼモチーフだから)けど、そんなにこの国及び国王に不満がある中なぜ住み着いているの?そも何が不満なの?バジーマはどうしてお城に秘密の部屋持ってるの?王が歌で言ってたように城に住まわせてもらっているから出来たことなの?ハルは何してた?

ここまで読んだ人は登場キャラ(名)が誰がだれだかわかりますか?

 

これだけ多くのキャラを出して置きながら全部うっっっっっすいんですよね。そこそこ味がするなっていうのがマグニフィコ王だけ。これも「マグニフィコ王は良かった」って意見が多い理由だと思います(個人の意見です)


というかパンフ見てハテナが浮かんだんですが「マグニフィコは、願いは単なる思いつきだと思っているようです!」って書いてあったんですが、どこにそのような描写あったんですかね。闇落ちした際に軽率に願い壊しまくった時のことを言っているんですかね?こういうところも制作陣が考えるキャラクターと見た側が受ける印象に乖離が生まれてしまっているように感じます。あとヴィランとはいえ、制作陣が「観客が嫌いたくなるような」って言うのはどうかと思いました。


結局擁護派が多数になってしまったので、それくらい説得力のないキャラ造形になってしまったんだなと。愛を持ってキャラを作り上げてほしいです。

 

 

 

4.小動物(スター含む)の活躍がない

 

ジョンの活躍を忘れたか!?と言われそうですが、忘れてました←

自分、ロビン・フット見てないので…(だめすぎる言い訳)

シンデレラのジャックを始めとするネズミたち、アラジンのアブー、ラプンツェルのパスカルなど、パートナーとなる小動物たちの活躍シーンが作品の良さ(印象付け)を引き立てていると思うのですが、今回アーシャのパートナーとなる仔山羊のバレンティノに活躍のシーンがあったかというと、無いです。山ちゃんのユーモア溢れるアフレコのお陰で見ていられましたが、ハッとさせられるようなアドバイスやセリフがあるわけでもなく、終始うるさい(バレンティノファンの皆様ごめんなさい。焼き土下座して謝らせて頂きます)

パンフに「人間に辛抱強さを重要性を教えてくれるだろう」って書いてありましたがどこにそのような描写があったのでしょうか。私が寝ていて見逃した…?(寝ていないはず)

 

スターは能力がチートすぎて勝ち確となってしまうから見せ場らしい見せ場がないように感じました。スターが扱う魔法に対し、なにか対価となるものがあったり、それこそスターの存命に関わる何かがあれば違った感じ方が出来たかもしれないのですが、それが無いので特別思い入れが生まれてこない。かわいいね、お顔がミッキーモチーフなんだね、ふーん…で終わってしまいました(スターファンの皆様ごめんなさ略)

…活躍が無いのでこれ以上書くことがありません。

 

 

 

5.脚本がめちゃくちゃ

 

まあこれに尽きると思うんですよね。

国民の願いを返せ!って言うけど、そも願いを献上するのを承知の上で移住してきているのに今更何を言っているんだ…?と思ってしまうんですよ。記憶ごと願いを献上するってのを知っていて渡すのに。不満をわめきだすのが突然過ぎてそりゃマグニフィコ王も闇落ちする。

 

ロサス王国バンザイ!って元気に歌っていたアーシャが、王にサビーノの願い(歌で若者の心を動かしたい)が危険思想に繋がりかねないとして却下されブチギレ。

歌を歌っているとスターが舞い降り、スターの力を借りてサビーノの願いを奪還。マグニフィコ王は「国王以外魔法禁止」という法を破られて疑心暗鬼に見舞われ、国民に情報提供を投げかけるも「そしたら願い叶えてくれるんすかー!?」と言われブチギレ(無礼者たちへと続く)(正当)、頼れるのは自分とコレしかねえ!と禁書に手を出す。

結果、闇落ちして国民から預かった願いを力に変えるとすごい魔力になることを知る(ここで初知り)。

情報提供すれば願いを叶えると言うとアーシャの友達のサイモンが密告(割と誇らしげな表情?照れ顔?なのが意味わからんかった)し、王国に忠誠を誓った騎士になる。(友人売る時点でそんな騎士にはなれなそう)

 

(暴走している)王を倒そう!願いを開放させよう!とバジーマの秘密の部屋で決起集会を開催。その時に流れるのが「真実を掲げ」という曲。(これ、「夜襲の歌」じゃないの?と思ってしまいました。まず話し合ってほしかったですね。あいつは危険だ!みんなで倒せ!って、そうじゃん…?だからどうにもこの曲は好きになれない)(夜襲の歌は好き)

 

マグニフィコ王が言っていた「歌で若者の心を動かす」が「国家転覆」に繋がりかねないって危惧していたんですが、見事にアーシャがそれをやってのけてしまったんですよね。予言的中してましたマグニフィコ王!

友人含めて王に狙われている中、ドンドコ太鼓叩いている暇あるんかいって思ってしまいました。アーシャの歌同様、そんなことしとる場合か!と突っ込まずにはいられませんでした。


そしてソウルジェムが穢れきった王を正気に戻そうと必死に調べるも結局見つからず、魔法対決(???)の末、国民の力もあり国王を鏡の中に閉じ込めて一件落着。アマヤ王妃が女王として国を統治し、みんないつまでも幸せに暮らしました。めでたしめでたし。

 

…めでたいか?え、うそ…?

国王を正気に戻す方法が見つからなかったからそういう結末にしただけでは?アマヤ王妃の真実の愛のキスではダメだったんか?奇跡じゃダメだったんか?と色々考えてしまいます。王道とは外れた展開にしたかったのですかね。むしろ今まで勧善懲悪だったディズニーが100周年記念長編アニメで「手を取り合う」という展開になってこそ、多様性を全面に出す「新しいディズニー」になれたんじゃないかなと思うんですよね。


あとワンオペで国政担っていた国王を排除したら多分国滅ぶと思うので、「いつまでも幸せに暮らしました」にはならないと思います。これはあくまで妄想ですが。

 

キャラクターの掘り下げが浅いという点にもリンクする内容ですが、当初はアマヤ王妃もヴィラン側で、初の夫婦ヴィランの設定だったそうです。パンフレットにも悪い顔をした王妃のイラストがあり、この美味しい設定をなぜ放棄したのか。やはりイケメン白人権力者男性を落としてなんぼなんですかね。流石に邪推しすぎですかね。でもこの設定で本編見たかったし、夫婦で願いを悪いことに利用していた方がより一層アーシャの行動に納得いくんじゃないかなと。

スターも初期案では人間の姿だったし、制作を進めながらキャラクター設定がコロコロ変わってしまったんじゃないかなと。

 

故にリレー漫画(小説)みたいな、前後で書いた人違うのでは?というくらい破綻した脚本になってしまったのかなと思いました。

 

 

 

6.オマージュ(コラージュ)諸々をやりたいがために犠牲となった脚本

 

100周年記念作品だからってのはわかるんですが、やりすぎ…と感じました。

多分ディズニー詳しく知らない人が見たほうがストーリーに集中できるんじゃないかと思いました。まあそうするとストーリー意味わからんくない?となりそうですが。

 

オマージュが多すぎてストーリーに集中できず、個人的にノイズに感じました。邪魔。ストーリーがあってこそのオマージュなのに、オマージュありきになってしまっているから結果的にストーリーが杜撰に感じてしまいます。これらをやる暇あるならもっと内容を煮詰めてほしかったですね。パンフレットに「これはコラージュではありません」って書いてあったのを読んですごく納得しました。これコラージュだ!

 

もちろん嬉しいオマージュもありましたが、それも中途半端だったのが悔やまれる。ウォルトが一番好きと言っていたシンデレラの変身シーンのオマージュしておきながら変身しないのズッコケシーンですか?


ちなみに個人的に嬉しかったのはマグニフィコ王がマレ様オマージュの暗雲を出して星空を見えなくするところですね。欲を言えば「破滅をもたらす雲よ、空を覆い~!」みたいなおとぎ話特有の言い回しが欲しかったなあと。

 

エンドロール後に、サビーノがギターで「星に願いを」を奏でて終わるのですが、結局このシーンを描きたくて作った作品なんだなと思いました。すべては辻褄合わせだったのです。コラージュというかパッチワークかもしれないですね。

 

 

 

7.願いを叶える力と多様性の認識

 

アーシャはスターから魔法の杖を手に入れフェアリーゴッドマザーに(納得かねえ)、サイモンは友人を売って王国騎士に(その後どうなったの?)、願いを取り戻したサビーノはギター弾いて楽しそう(最初から出来たのでは?)というのと、独学で魔法を勉強して…の国王を考えると、やはりこの映画のテーマを体現しているのは国王なのでは。最後の幸せそうな風景もずっと頭にハテナが浮かんだままでした。願いを叶えるために成長したような描写がなく、なんの努力もせず成功したように見えてしまいました。

(あと小耳に挟んだんですが小説版ではスターとマグニフィコ王が対峙した際に「星に願った際、お前は何をしていた!?」っていうシーンあるんですか?残酷過ぎませんか。スターはマグニフィコ王の家族を、国を、救えたかもしれないってことですか?Oh…)

 

そして最近のディズニーが主張したがる多様性。別に障害者を出そうと同性愛者を出そうと多国籍だろうと良いですよ。ただ、ヴィランの魅力は否定しないでくれと思うばかり。というかマグニフィコ王のことを否定しないでくれ。

 

(某きかんしゃのナルシストキャラの夢女子をしているからかもしれないですが)ナルシスト=悪というレッテルをいい加減やめてほしいですね。散々ルッキズムは良くない!と主張しながらイケメンやナルシストは貶していいと思っているんですかね?それもルッキズムに含まれますよ?マグニフィコ王のアイシングクッキー踏み潰すシーンは普通に不快だった(食べ物を粗末にするという点も含む)し、ガーボの「だから俺はイケメンを信じないんだ!」って意気揚々と言うシーンも割りと引きました。

 

マグニフィコ王が自分大好きナルシストで何が悪いんですかね?むしろあれだけ自分を肯定できるのって素晴らしいと思いますし、家族を失い天涯孤独になった彼が、自分の無力を責めて後ろ向きになることなく前を向いて生きています。残されたものは半分燃えてしまった家族のタペストリーと親からもらった名前のみ。その名前を「いい名前!」と言えるのってとても素敵なことだと思います。それに彼の自信って努力による実績が土台にあるわけですから、それで自信家になって何が悪いんでしょうか?わかりません。(だいぶ感情的になってきました)

 

 

 

8.その他

 

ここまで文句垂れておきながらアレですが、私はWishという作品が嫌いという訳ではありません。というか期待してたからこそがっかりしたし、それでもまだ縋りつきたいオタクなんです…。キャラ嫌いになれないし…。

 

ただ、だからこそ、「Wish」という作品を最後まで描いてほしかったんですよね。エンドロールで流れたのが歴代アニメーションキャラの星座(?)で、100年の歴史を振り返るというもの。コンセプトは良いんですが、これ「Wish」のエンドロールなんですよね?そして100年を振り返るというのは、同時上映の「ワンス・アポン・ア・スタジオ」で十分すぎるくらい浴びたんですよ。濃厚な短編作品を。その後にこのWishを見ることになるので、薄味に感じるしエンドロールも二番煎じに感じ、最後の星に願いをで「あー(納得)」となってしまう。結局これはファンムービーだったんだなと思ってしまう。

ディズニー100周年のアニメーションに期待するのはファンサじゃなかった勢なので結構ショックでした。新しいものを見たかった。ただただ残念。

 

あとこれよくわかって無いんですが、「全てのおとぎ話の原点」って、このWishが0話カウントで、第一作目の白雪姫につながるって認識なんですか?それかなり嫌なんですが←

サンホラかKHでも履修したんですか(KHは履修とは言わないか、ディズニーだもんな)

 

魔法の鏡に閉じ込められたマグニフィコ王が魔法の鏡になり、アマヤ王妃により女王が統治する国に→白雪姫の継母、7人の友人→7人の小人に繋がるっていうのを見たんですがあれは公式なんですかね。だったらやっぱりロサス王国滅んでるし、恐怖政治になているし、白人しか出てこないから有色人種迫害されたんですかね。

って考えてしまうからそういうことはファン内での二次創作あるある設定だけであってほしいですね、個人的には…。

 

あとこれは完全に揚げ足取りなんですが、パンフレットに載っているキッチンにマカロンタワーが見えるんですが、この時代のマカロンってバッキバキに亀裂入ってるタイプだと思うんですよね。マカロンと聞いてイメージするツルツルのやつって、ラデュレの創業者の従兄弟が生み出したやつ(マカロン・パリジャンもしくはマカロン・リスと呼ばれるもの)で1960年代に出始めたものだからなんかだモヤッとしました。まじで揚げ足取りなので気にしない方がいいのかもしれませんが。

 

という訳で、Wishの感想諸々を書き綴りました。

私はDオタ(軽度)ではありますが、個人的にキャラ=俳優という認識が薄いので、それを演じているという風に見ることがほぼ無いんですよね。ただWishに関しては、渡された脚本をキャラが頑張って演じてくれた!という見方が出来ました。キャラに罪はなく、全ては制作陣の力不足かと(あとは私のイマジネーション不足)

 

それでも、ワンス・アポン・ア・スタジオを描けるだけの力はわずかながら残っていると思うので、その希望(スター)を信じて、ディズニーにはまた頑張ってほしいなと思いました。