私は自分の身体のコントロールが難しい

ちょっとでも食べすぎたり、睡眠がとれないと

次の日の仕事に支障が出る。

だから食事に人一倍気をつけるし、

まれに出る飲み会でも、早々に立ち去って、つきあいは悪い。

それを、とてもタフな人たちから見ると、

自分が何か責められるような生き方をしているようにも思えて

なんとなく居心地が悪い気がしていた。

 

だから、こうやって、自分の食べ方につきあってくれる、

ほんとの自分のありようでつながれる人と関われる場を

自分でつくろうとしているのだけれど。

 

そんな自分に、大丈夫、あんた合ってるよ、と

言ってもらえているような文章を見つけた。

20年も前の自分が、

いろんな本や雑誌や新聞などの

印象に残った一節をコピーして、

ご丁寧にとっておいていたのだ。

あの、タフそうだった、ワダベンさんの本の一節。

 

「・・・(パーティやら葬式やらにあちこち)行くと、いあわせた知人たちと飲みに行ったり、話し込んだりしてしまう。

そうすれば、まわりからは付き合いがいいやつだとか言われ、顔は広くなるかもしれない。でも、体、健康に影響が出ることもなきにしもあらずで、自分を一番いい状態にしておくことが、難しくなってくる。

そんなわけで、ぼくは不義理の連続。それは、なにも相手をバカにしているのではない。義理を果たした結果、自分自身がくたくたになったり、ほんとうに話をしなければならないときに、一番いい状態でなくなってしまったら、それこそ相手に失礼だろう。

・・・自分の状態を一番よくしておき、自分がきちんと生きるということが、結局は、まわりの人もきちんと生きるようになるというのが、ぼくの考え方なのだ。

この国の人というのは自分を大事にせずに、自分を横に置いてしまうものだから、自滅していくという気がする。」

 

 

そうなのだ。私は私。

私の身体は、私がいちばんわかっている。

私自身がベストでいられる生活をする。

そしてベストの状態で、仕事に力を尽くす。

また、本当につながっていたい、限られた大切な人たちに対して、

礼儀を尽くし、誠実であること。

それが私の望んでいることだし、

私の生活のしかたに、無理をしないでしっくり馴染んでくれる人が居たとしたら、

それが理想のパートナーということだろう。

 

またベンさんに大事なことをおしえてもらった。

亡くなったかたなのに。書物ってすごいな。

 

過去の私がとっておいたベンさんの記事には、

「恋愛は娯楽、結婚は超娯楽」という

とても興味深い、別のお話もあったけれど、

それはまた別の機会に。