ジオセントリックでは本日、ヘリオセントリックでは11月3日に木星と土星が、水瓶座にてコンジャンクションしました。

占星術では、このグレートコンジャンクションによって、ここから20年の大きな意識の方向づけがセットされ、社会の基盤となる思想的なものが、この20年をかけてリフレイミングされていくと捉えます。

ジオセントリック水瓶座1度サビアン「僻地の古いレンガ造りの伝道所」
ヘリオセントリック水瓶座2度サビアン「予期せぬ雷雨」

水瓶座の始まりは、思想や古い信念体系の解放ということに関係します。
破壊と新生の神・冥王星はいまだに山羊座を巡回し、これら旧体制のぶち壊しに猛威を奮っています。

どんな人も、その人の思想や信条をもとに生きています。特定の宗教やイデオロギーを信奉していなくとも、やはりどんな人にも、考えや行動、反応のもととなっている信念、思い込み、生きていく上での足場とする価値観があります。そして、それはその人自身が思っているよりも、強固なこだわりとなって、それぞれの人生を形作っています。

今回のグレートコンジャンクションは、特に、そうした観念的な思想、信条、思考の枠組みといったものに、公平で柔軟な新しい風を吹き込み、個々の差別化された具体的な信念体系というものがあまり重要ではなく、そのバックグラウンドとしての宇宙的な意識の広がりへと、人類を大きく促していくものになることと思います。

どのような時代も、新しい変容の精神を体現する者は現れますが、また旧時代のオールドなあり方に安定を感じ、維持しようとする者も残り続けます。それはそれでかまわないのです。多様性を尊重するということを、私たちはもう知っているから。

SNSの普及で、個々の思考や、思想的、精神的な価値を共有することは容易になりつつある一方、人と人とが向き合うということの空間的、身体的、肉感的な感覚が、著しく失われていきます。
それに心地良さを感じる人も多くいますが、そうしたことに存在の不安を掻き立てられる者も、一層増えるでしょう。
人の肌の温もりというものの記憶が、遠いかなたのものに変わろうとしています。
人類も、もはや肉体を媒介とせず生殖が可能となっている時代です。そもそも死によって生をリニューアルするということもなくなるかもしれません。

時代の流れというものがあります。
今じゃぁ、洗濯板を使って洗濯する人なんて、まず見かけませんが。でも、いないかというとそんなこともない。洗濯板が好きで愛用されている方はもちろんいます。薪でお風呂を沸かすのが好きな人も。

私はこれからも、あえて肉体と心の関係性を重視し、人と人とがリアルに向き合うことの大切さや、私なりに考えるエロスの本質とその意義を訴えていくことでしょう。


私は思想や信条が違っても、人は仲良くなれると信じています。
その人はその人のジオセントリックをやっていると思うから。
(ヘリオの意識レベルで交流できれば、みんな友達でしょう)
ヘリオは学ぶというよりも、感じる占星術だと思います。
私はジオセントリックに出会ったときには、大変な衝撃を受けましたが、ヘリオを見たときは、なんとも思いませんでした。私はもうそれを知っていたから。幼い頃から、ずっとそういう意識で生きていたと思います。
ですから、この感覚を理解しない人がいることを、理解できなかった。


水瓶座の時代は、みんな違ってみんないい、個性の時代でもあります。
それぞれがそれぞれの思うまま、自分の個性を思う存分開花させて生きればいいのです。しかし、個性の時代とは、裏を返せば、個性に価値がなくなる時代でもあります。
みんな違ってみんないい、それもアリ、これもアリ、それぞれの主義やあり方を尊重します。
そこに特別はありません。そこに特別を生むのは、自分の「好き」「嫌い」の感情だけです。そして、本当に特別を感じられるものとは、自分との絆を感じられるかどうかによるでしょう。
風の時代のライトなコミュニケーションや膨大な情報のやりとりの中で、他者にアピールするには、言葉というもの、表現の仕方、その人なりの考え、技術、技能といったことが非常に重要になります。
しかし、本当に本当に大切なものは、このネット空間で表現されているのでしょうか?本当に本当に大切なことを、人はそう易々と、人に伝えることができるのでしょうか?テクニカルなことを言っているのではありません。心の話をしています。
そもそも本当に大切なものをあなた自身は見出せているのでしょうか?

自分の心情の大切さ(信条ではありません)
自分と向き合う人の大切さ、自分が向き合う人の大切さ。
お互いの心情の大切さ。個人的に関わるご縁とその深い意味。

言葉で伝えようのないもの、伝わわらないものを、どう伝えていくのか。
誰かの背中をさすることで、それが伝わるということもあるでしょう。

自分の心というものさえ、人はそれを見ることも把握することもできません。
自分自身でさえ知らない、いろいろなものが心の奥には封印されていますが、普段、心の奥底にあるものというものは、特別なトリガーがなければ上がってくることはあまりありません。

そうしたものの多くは、関係性の中で、場と機会が与えられた時に、展開されていくあなたのドラマのエッセンスです。



自分の肉体や容姿、醸し出す雰囲気、オーラ、仕草、声、質感、まばたきの仕方や汗の匂いも、すべてその人にしかない、その人特有の大切な、霊的な豊かさです。

人を好きになるのに理由はない。その人に近づきたいと思うことに理由はないのです。

SNSでのコミュニケーションは、そうした豊かさを欠いているように思われてなりません。

そこでは、霊体と肉体の逆転のような現象が起こっています。

個人のイマジネーションの中だけで完結する世界が、もうそこまで来ています。

私はあなたと一緒に、同じ空間で、あなたと私の体温で、空間の温度に変化が生じることや、お互いの声が空間に反射して、笑い声が反響することや、そんなたくさんの、地上でしか味わえないリアルな感覚を味わいながら、いろいろなことをしてみたい、などと思うのです。
あなたが笑顔になった時、あなたの顔に刻まれる皺の形さえも、愛おしく感じるのです。