交錯する心情について | ANOTHER DAYs

ANOTHER DAYs

JOCV23-1美術隊員hitomix活動日誌♪
モンゴル国立教育大学造形美術学部で先生してます☆
2011.6.20~2013.3.20

6月になりました。
モンゴルの学校の1年間は9月に始まり6月に終わります。
つまりは、ようやく夏休みになったということです。

9月から一教員として大学の授業を1人で担当してきました。
モンゴル人教員の授業へのサポートはほぼ皆無でした。
前期はデッサンと水彩の授業、合わせて週10コマ。
後期はデッサンとCGデザインの授業、合わせて週11コマ。
そこで教えた学生の数、およそ150人。

そして私は、そのすべての学生たちの成績をつけました。

ここにも何度か書いてきたかと思いますが、
成績をつけるという仕事は、日本にいた時も同じですが非常に神経を使います。
日本のシステムと比較すれば杜撰と言うしかないモンゴルの成績システム。
一連の試験と成績づけの流れの中で、いろいろなことがありすぎました。
今回は特に年度末の成績ということで前期よりもさらに苦い出来事が多々ありました。
生徒とのやり取り。先生方とのやり取り。自分の立場でできることの限界。
 
試験期間中、私はずっと眉間にしわを寄せていたことでしょう。
ふと、これはこれほどに辛い仕事だったのか?と、
気づくと職場で涙が止まらなくなっている瞬間もありました。

そんな憂鬱な日々が、ともかくやっと終わったと思ったのです。

ある学生2人が、私のつけた成績が不服だったのでしょう。
FB上に私に対する中傷を書き込んできました。
親切にもとてもわかりやすいモンゴル語で。

もともと彼らにはデザインを教えていたので、私が言葉で説明できない部分を補う目的で、
インターネットを通じて様々な情報を共有しようとFB上での繋がりを持っていたのです。
その試みは、少なくとも上手くいっているように思えていました。
しかし、こうしたことが起こってしまうと、その発想を後悔せざるを得ません。

もちろん実名登録されているので、その書き込みをしたのがどんな学生だったかも
私がどんな成績をつけたかも、なぜそのような成績にしたのかもよく覚えています。

彼らは4年生だったので、今後もう学校で会うことはないでしょう。
しかし、その最後の1年の一番大切な時期に、私のような外国人教員の授業にあたり、
そして不満足な成績をつけられた不幸をきっと嘆いているのでしょう。
卒業後の就職にも影響する大事な成績だからこそ、その不満はなおのことでしょう。

私は自分がつけた成績は正当であると考えています。
私の評価方法について、モンゴル人教員とは異なる点があるという説明も授業中に何度もしてきました。
でもそんな彼らを納得させるだけの、明確な指導力と語学力が私にはなかったということでしょう。
成績を通知する際にしっかりと話をする時間的余裕も、この大学の試験期間の中では与えられていませんでした。

私が授業の中で伝えたかったことが、彼らには何も意味をなさなかったのだと突きつけられました。
教員として認められていない、なめられているということも実感させられました。

とにかく彼らと直接対峙することも出来ないので、
私はその書き込みを非表示にして、そうした中傷がエスカレートすることを防ぐために
彼らとの繋がりをブロックすることしかできませんでした。

大学卒業認定をもらえるだけの年齢になってなお、
メディア上での心ない行為をする彼らの
心の幼さ。軽率さ。メディアリテラシーのなさ。
そして私のモンゴルでの生活上には拭えない不安が残りました。

活動をする上で、成績に直接関与することに対するリスクは最初から認識し警戒もしていたので
そのことは幾度となく配属先、同僚に伝えて来たつもりです。
しかし、結局1年間状況を変えることができず、それを諦めていた自分もいました。
このことをどう配属先に伝えて、自分の立場をどのように確立(むしろ維持)するか。
よく考えなくてはいけないと、深く反省しました。

その後、
非表示にしてあったはずのその中傷の書き込みですが、
どうやら目にした他の学生がいたようでした。
そしてその学生は、私に対するフォローの書き込みをしてくれました。
「気にしてはいけません。」とも。
モンゴル語の書き込みやメッセージに非常に神経を尖らせていたので
その思いやりの行動がどれだけ私を救ってくれたことか。
私はどう感謝の気持ちを表したらよいのかわかりません。

残りの10ヶ月を、彼らの将来のために捧げ、
少しでも刺激を与えられる授業をして、たくさん関わり合うことしか
今は思い浮かびません。

いつも、モンゴル人に失望させられ、モンゴル人に力をもらいます。