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隠れているつもりはありませんが、

見つけられた気持ちです。

 

 

 

私が以前作った曲に、心をゆさぶられる人がいてくれるんだと、

仕事から、時間も距離も遠ざかったこの英国で、

すこしほっこりした気持ちになっています。

 

又紀仁美(ゆうきひとみ)という名前で仕事をしていたとき。

5枚のアルバムを出すことが出来ました。

「売れた」わけではありませんでしたが、

5枚も出せたんだな~、と振り返ります。

 

アルバムだけでも50曲の作品が、

この空気中に拡散、ちいさく、拡散。

でも誰かの耳に入っていったわけです。

 

そのレコーディングの場面場面が、

今も私の脳裏にあります。

 

 

 

私の父は、円谷一というウルトラマンなどを撮った

監督でもあり、作詞家でもありました。

私が一歳のときに亡くなったわけですが、

今も、父の作品を目に、耳にできることが、

とてもうれしく感じた瞬間がありました。

 

あるとき、友人宅で、夜中に、ウルトラセブンを、

再放送しているのを観たとき。

偶然にも、父の監督作品で、

「今、私が見ているこのシーンは、

おとーさんの目を通して見た、同じ場面、

この画面のこちら側、カメラの横には、おとーさんがいたんだな~」

と思ったら、泣けてきました。

 

私の作品も、将来、私がこの世からいなくなった後、

息子がそんな風に見つけてくれるかなー。

 

 

と、こんなことを考えていた、週末。

 

ちょっと前に、シリアで習っていたウードという、

楽器を出してきて、弾こうと思ったら、

息子に邪魔され、

彼は、それを自分の楽器だと思っていて、

ひとしきり触って音を出した後も、

私が触ると怒り、出しっぱなしだからかたそうと思って触ると、

そこにおいておいて!というジェスチャーで怒り、

全然弾けなかった。

 

よって、私の作曲生活は、彼が夫によって、

外に出されているときか、寝た後。

 

まあ、ほとんどは、鼻歌で作れるのだけれど、、、

やはり楽器を奏でたくなる。

 

4小節メロディー、8小節メロディーのメモ書きが

たまっていきます。

 

 

 

 

ダマスカスの自宅にて、

マーヘル・マフムード氏にウードを習うの図。

週に一度、家に来ていただいておりました。

彼も将来は、プロの音楽家になるべく、

音楽院で勉強中。

 

アラブ音楽には、4分の1音があり、

日本人の私にはとてもとりづらい音階でしたが、

7パターンあるものをすべて教えてもらえました。

とても興味深かったです。

体の中に流れている音階ではないので、

さっと、は出てきませんが、

これからも聴き深めて行きたいものです。

 

マーへルは、最後に、色々とアラブ音楽の、

私が弾ける範囲の楽譜を、たくさん用意してくれ、

とてもすてきな先生でした。

 

げんきかな~。

 

 

2007.11.27 7:01