素敵な味を | 日々憂鬱の中

日々憂鬱の中

下を向いて歩く
ただの通りすがり

前回のブログが何について書かれていたかは定かではないが、見返しもせずに未だに不慣れなキーボード操作で書いていく。不慣れでないことの方が少ないぐらいだ。


まず先に断っておきたいのだけど、これから書くことは真っ当な、もしくは普通、或いはつまらない人間には胸糞が悪くなる言葉の数々だろうし、このブログはそういう人達のものではない。「社会に出てバリバリですよ!」とか「ウチの嫁さんがねぇ~」なんて人は今日の夕飯の事でも考えてこの辺りで引き返して欲しい。それと併せて、ピグのポイント目当てとか、自身のブログのアクセス増やしを目的としたメッセージを寄越すナンセンスなハイドロポンプ野郎もピグ友とクリスマスの予定でも談義しといて下さい。私があなた達にとって害悪な存在だとしたら、あなた達もそうなんです。生乾きの靴下しか履けなくなればいいのに、心から。


冒頭の挨拶は塩コショウ少々な程度にして本題へ。腰を据えて話すまでもないし、例外なく、いつもの見えない敵への稲妻レッグラリアット。




12月から約1年振りにこの私が働き始めた。とは言ってもアルバイトである。ほぼ、ニートと変わらぬ状況であるし、心はいつだってそちら側だ。嫌々なのか、と聞かれれば当たり前だと答えるのはご存知だろう。以前のブログ、放送だったか忘れたが、働いていない時の憂鬱や焦燥感は働いていないからだと勘違いしがちだが、実際は働いても同じと発した。働いても憂鬱は晴れない。寧ろ増える可能性だってある。自分と心境がまったく同じなんて人間が、人間と呼べればの話だけど、もしいたとしたら同じような経験があるのではないだろうか。


「働いたな」「働いているな」
この気持ちを持って仕事をしている時、あなたならどんな感情を抱くだろうか。私は非常に厭な、そして惨めな感情が爪先から頭の天辺まで行き渡る。その気持ちで心の豊かさや、人間の成長を感じるという人を否定はしないが自分にはその部分が欠如している。何で厭なことで成長?どうして豊かになる?常に頭を駆け巡る言葉はそんなところで、欠如というより放棄といったほうが正しいのか。自分には無関係のものであって欲しいと願えば願うほど近づいてくるもんさ。


決して誤解をしてほしくないが私は労働は否定しない。厭な気分を味わう労働は否定する。殆どの人が嫌々ながらも働いていると知っているし、こんな事を言えば社交パーティに招かれることもなくなるだろが、それでも強く、とても強くそう思う。もがく中で、どうこうして素敵な味わいある労働はないものかと妄想に犯された脳みそで思考するが見当も、道標も、手がかりも、光も、見通しもない。ある訳ない、そうすると固執してしまう。その内とんでもないヘマをしでかす。ブログ、ツイッター、ニコ生、タンブラー……。


不確かな、まるで矢追純一がUFOは必ずいると身も蓋もない自信を覗かせるかの如く、確かにそれに近い「何かがあるはずだ」という未確認思惑。きっと、その「何か」も方向違い、道違いな場所をうろついているんだろう。自分にとってのすれ違いは望まぬものばかり、肩をぶつけるのは望まぬものばかり、正面衝突するのも望まぬものばかり。ひょっとしたら通り過ぎているのかも、UFOの様に光速に、目に付かずに。寝ている時かな?あいにく眠ることは好きなんで仕方ないね。


何の為に働くのか。社会?夢?奉仕?金?どれも間違いで、どれも正しい。働く者にとっては正しく、働かない者には間違いとしか思えない。身を粉にして社会が何をしてくれる?報われると思っているだけの夢では?奉仕した先は?地獄の沙汰も金次第?イチャモンをつければキリがないが、明確な答えを誰も持ちえていない。口を揃えて聞こえるのは「皆がそうしている」。それは答えではない。単なる模範だ。困ったことに、私もそれに打ち勝つほどの答えを、模範を持ちえていないまま。だから教えて欲しい、いつになったらベッキーは死ぬんだい?


共有サイト。
今一番関心があるのはこの事案だ。個人的には面白いプロジェクトだと考えているのだが、一人で盛り上がっている様子で、些か気恥ずかしさと怒りが同居している。目的は至極簡単で、各々のやりたい事を一つのサイトに載せてしまおうと。画像をアップしたい人は画像を、文章を書きたい人は文章を、音源を載せたい人は音源を、その他にもあればやっちまえってとこだ。誇張的見解ならばグループ、そうでなくてもグループ。つまり、一つのサイトで発信したいことを発信する集団。年齢不問、経験不問、性別不問、学問不問、資格不問、問われるのはくだらない事を如何に馬鹿らしく、それでいて面白くやれるか、やれそうかだけ。そして、そういう奴が周りにいない。あぁ、ネットの世界でもすれ違い?


もし、興味あれば一声かけて頂きたい。或いは助言をくれる人は穏やかに柔らかに、一番は分かり易く助言頂きたい。



何だかんだ喚いたけど、ブログの更新も中途半端では埒が明かないと久々に面倒……楽しみながら書いてきたが、徒労に終わりそうだと、またしても終える瞬間に去来するものが胸にある。本当はもう少し各項目について根深く、ネチネチと書きたかったが、気分が乗ったらまたその内に。その間に、まとめられるように独りぼっちで食べる昼食時に考えたい。


今年も残り僅か。
どうかご覧の皆様の健康を祈りたくもありませんし、どうでもいいです、本心は。
でも、残り少しの期間と来年が憎しみで溢れればいいね。