今日北星余市高校の東日本の教育相談会があった。

なかなか参加できなかったが今日久々に行くことができた。

今日は初めて娘も一緒に参加。

このところ廃校の危機をいろいろなところで取り上げてくれたこともあり相談者は17組。

卒業生もたくさん来ており、25期、26期とかなり昔に卒業された方たちの姿があった。

卒業生が在籍中の学校生活寮生活の話をしてくれたが、何年前のことでも今のことでも

北星は変わらない。

北星ならではの教育がそこにあった。

北星に行ってどうだったか、何が一番辛かったか、そこで何を得たか・・。

自信のない自分がいたが、北星で自分でもいいんだという自信を持つことができた。

何でも話せる、聞いてもらえる先生がいる、心配してくれる友がいる、

一人でいる時辛いと感じていても、どんなにへこんでいても部屋を出ると誰かしら

自分の周りにいた。自分を受け入れてくれる仲間がいた、それが一番の支えだった。

どんなに言い合っても最後は打ち解けあえる、そんな仲間を得られたのは北星ならでは。

進学校に行っていい子でいなきゃならないと真面目な自分だった、自分と全く違うタイプ

の子が怖かった。でも、一緒に学校生活を送る中で、違う一面を見た時、見かけと中身が

違うんだということもわかった。いろんな人と関わる中で自分と違うものを受け入れると

いうことができるようになった。社会に出ればいろんな人がいるわけで、それが出来るよ

うになったことは北星に行ったおかげ。

寮の中には先輩後輩がはっきりとしていて、下級生だった自分はいろんなことをさせられ

た感もあったが、偶然職場が同じになったその時の先輩が上司に、こいつはやるときは

やる子なんでよろしくお願いしますと、頭を下げて言ってくれた。そこまでしてくれる先輩

が北星にはいるということ。

その時の思いをたくさん話してくれた。

あんなにたくさんの人の前で堂々と話をできるということは親たちであっても並大抵なこと

ではない。それぞれがしっかりと自分を持っている。

過剰という意味ではなく、自分に自信を持っている。

自分の在り方でいいんだと、その肯定感が持てない人が山ほどいる今、それをしっかり

構築させてもらえたということは、それだけで北星に行くことに大きな価値があるということだ、

本当にそう思う。

帰りの車の中で、娘が言った。

今日来ていた子に気になった子がいたと。

ずっと下を向いていた子で、それは自分だけでなく、多くの卒業生たちが気になっていたよう

だったと。

ちょっと髪を染めたやんちゃそうな先輩が、その子に話しかけた。

どうしたの?

学校行けてないの?

話をしだすと自然とその親子を囲むように何人かの卒業生が集まった。前に、後ろに、

それを少し後ろから眺めていた娘と友達は、あ~この風景北星の教室の中みたいだねって

話していたそうだ。何か気になる子がいる、自分だけでなく、みんなも同じように気にして

みている。いつの間にかその子の周りに見守るかのように人が集まってくる。

それが北星だと。

うなだれているようなその子を自然に囲むように集まった風景が教室の風景のようだったと。

そんな話を始めて聞いて、そうだったんだと、10年もたった今、また新たな北星の素晴らしさ

を感じさせてもらった。

話しかけているうちに一瞬その子は顔をあげたと。

いやならいやだとその場から去ることもできるはずなのに、ずっとそこにいて話を聞いていた

のは、きっとその子も何とかしたいと思っているはずだと。

会が終わってみんなで交流会をしているとき、その卒業生たちにあの子顔をあげたよねって誰

かが言い出したら、みんなそれに気づいていて、そうなんだよってみんなが声をあげたそうだ。

自分ではどうしようもできないで苦しんでいる時、北星に行けば必ず誰かしらがそこにいる。

自分を気にかけてくれる人が誰かしらいる。

手を差し伸べてくれる、助けてくれる人が必ずいるって。

あの子北西に来れば絶対買われるよねって。

それが北星なんだよって。

教育

今の学校はどんな教育をしているのだろう。

人を育てるということができているだろうか。

生きる力を持てる教育が出来ているだろうか。

みんな違っていいと言いながら、違ったらその場にいられなくなるような、

個性が大事と言いながら本当に個性を認め合う養育が出来ているだろうか。

人は一人では生きていけない、でもお互い尊重し合いながらのコミュニケーション

が取れる子供たちがどれくらいいるだろうか。

出る杭を引っこ抜くのは簡単だ、だが、中に埋まった杭を取り出すことはとても難しと

北星の先生が言っていた。

今の子どもたちは自分をなかなか出せない、出したら大変なことになるから。

平らに平らになるように教育を受けているから。

何事もなくみんな同じに平らになれと。

なにか話をさせると、みな同じように決まったことしか言わない。

それもみなお利口さんなこと。

自分の意見を持てない、持たない。

それがいきなり社会に出ると、個性を出せ、独創性を出せ、と自分の力を発揮せよと。

人と違うことが怖くてできないで育った子供たちにどんな独創性があるというのか。

何があっても見ざる聞かざる言わざるでことなかれ主義で過ごすことに何も感じない子供たちが

どれほどいるだろうか。

真っ正直に生きようとして生きずらくなった子たちが集まったのが北星なのかもしれない。

自分を分かってほしいと思った子供たちは人のことも必死に理解しようとする。

それがお互いを受け入れあうということなのではないだろうか。

思春期の時、これほどまでに自分と向き合える学校、人を理解しようとする時間が持てる学校、

真の人間教育をしてくれる学校は多分、もはや北星以外にはないのではないかと思う。

その教育が自己肯定感をしっかりと持ち、今まで立ち止まっていた子たちがしっかりと前を向き、

未来を考えられるまでに成長できるようになるのだと思う。

本来あるべき学校の姿

絶対になくしてはならない学校なのに

本来ならば、すべての学校が北星のような教育をしなければならないはずなのに。

廃校などさせてはいけない。

なんとしても、存続させなければ。

強く強く、そう思う。

行ったもん勝ち・・そこに通えたことは最大の宝物を持てたということだよね・・

娘の話を聞きながら、そう心の中でつぶやいた。