今回は、ちょうど一年前、私が宮城県の石巻市にボランティアとして被災地に入ってた時のことを書こうと思います。
なぜ今さらなのか?
それは自分への危機感です。
自分の中で『過去のこと』としてどうしても風化しつつあるのが否めないから。
「またいこう」と思ってる。
連日報道される被災地の様子には心が痛む。
でも
日々の仕事や遊び、生活に追われて、どうしても自分から遠い出来事のように感じつつある。
いや、感じている。
ほんとはまだまだ続いてるのに!う~~~~!!
で、最近よく石巻のことを思い出していて、やっぱり色々な想いがこみ上げてきて、私ごときが伝えるべきことは特に無いけど、ブログに書いても、まぁ、悪いってわけじゃないか…と(笑)
てことで自分に渇!という記事です。
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震災から数日、、、個人でボランティアに行く人がメディアに叩かれてました。『何も無いところに、何も持たずに行って、被災者に迷惑をかけている』
『何の計画もない個人の車が東北に向かうことで自衛隊や公的な支援の邪魔になっている』
『ひやかしのように来て、仲間内で楽しそうにしている姿を見て、被災者の心が傷ついた』
等々、、、
組織的なボランティアが被災地に入ることになったら真っ先に行きたい。
そう思っていた私は、組織として一番初めに現地で活動を始めた、国際NGO団体のピースボートで
3月31日~4月9日の一週間、一番被害の大きかった宮城県の石巻にボランティアとして行かせていただきました。
震災で東京での仕事はほとんどキャンセルになってたけど、まぁちょこちょこあったものを片付け、各事務所に一応連絡だけして。
これ、準備が結構大変だったと思う

現地には宿泊施設はもちろん、電気もガスも水も当然のごとくないので、テントも食料もすべて持参。
私なんかは山やるし、全部揃ってるけど、フツーの人たちは集めるの大変だったと思う。
事前の説明会やミーティングで、5,6人でグループを作り、現地でもその班ですべての行動を共にする。
私のグループはたまたま若い子が多かったんだけど、みんな準備は大変そうだったもん。
テント借りてきたはいいけど、壊しちゃったり(現地は海沿いで風がめっちゃ強いので、半分くらいのテントが飛ばされたり壊れたりした
)シュラフ無くて毛布だったり(行った当初はまだ雪も降ったりして、夜はもちろん氷点下まで冷え込んだ
)、、、今思い返してみるとみんながんばったな。素晴らしいな(笑)私にしても、一週間分の食料を持つのは初めてだったし、なんといっても山は水を途中で補給しながら進むから、この一週間分の水を用意するっていうのは結構大変なことだった

それもこれもすべて、班の中で協力して、持ち物を分担して助け合いました

うちのチームワーク、最強だったので


上の写真はテント場の石巻専修大学グラウンド。ぎっちぎち。でも綺麗な夕焼け。
被災地を始めてみたときの衝撃はやっぱりすごかった。「こんなことが、、、起こるんだ、、、」
っていう感覚。テレビでは見てた。テレビと同じ。
でも、こうやって目の前にすると、鳥肌が立つ。絶句。




ボランティアの仕事は 泥かき 炊き出し 物資の配布 避難所のお手伝い 等々。それから、私たち自体が元気でいること。
自分の精神が健康でなければとても人様のお手伝いは出来ません。
体力はなくても大丈夫。
自分のできることを、自分のペースで

泥かきのビフォー&アフター

↓↓↓

泥水を吸った畳や家具は重い重い…

地元の方々とも連携して、一軒一軒泥をかいていきます。
中には、まだ使えるものや思い出の品がたくさん残っているので、お家の人に確認しながら、作業を進めます。

私がお手伝いさせていただいたのは【春嘲楼(しゅんちょうろう)】というなんと安政2年創業という、超老舗の割烹料理屋さんと、めちゃくちゃ可愛い(失礼)おじいちゃんのいる【寿屋】という酒屋さん。
春潮楼さんはさすが、歴史のある料理屋さん。由緒ありそうな食器がたくさんありました

酒屋さんのご主人はほんと魅力的なおじいちゃんで、ワタクシ一目惚れ
(笑)その娘さんであろう奥さんも、その娘さんも、本当にほんとうにいい方々で、なんと休憩時間にお茶を入れてくださったり、お菓子を出してくれたり

ボランティアに来てまさか被災者の方々に食料をいただくなんてとんでもないっっ

と最初はもちろんお断りしていたものの、
「こういうものはたくさん物資できてあまってるくらいだからいいの☆」
とちょっとおどけて言ってくださる。
お昼ご飯はカロリーメイト的なものしかない私たちにはありがたい甘味でした。
そうだよな。菓子パンや冷たいおにぎりはもちろん最初の段階では生きるために必要だけど、人として生きていくためにはあたたかいご飯やお肉やサラダが必要だよな。
段階的に支援も変えていかないとな…
とか出していただいたお茶を飲みながら考えていたところで、話は被災直後の話題に。
震災の3日後くらいに、若い男の子がこの辺に来たとのこと。
「バイクに乗ってフラフラで何も持たずに来て、夜は野宿して、2日間何も食べてないって言うから、食事させてあげたのよ~」
と奥さんが話しました。
私は ああ!やっぱりそういう人いたんだ!と申し訳なくなり
「すみません!!そんな混乱時に…!」
と誤りました。その時の食料は今よりずっとずっと貴重だったはず。
すると
「いいえ~。むしろ嬉しかったわ。そんな風に何も考えず、何かしなければと来てくれる人がいるってことが。私たちには何の情報も無かったし、日本のほかの地域がどうなっているかも、どのくらいの被害があるのかも、何も分からなかったから、こういう風に助けたいと思っている人がいるって分かって嬉しかった。食料を分けるなんてお互い様よ」
と奥さんがいいました。
『おたがいさまよ』
すごいショックを受けました。
恥ずかしかった。
私はなにをしたり顔でその男の子の代わりに誤ったりしたんだろう。
いの一番に「なにかしたい」という想いに突き動かされて行動した彼に、被災者は励まされた。
もちろん、そう感じた被災者ばかりではなかったと思う。
ほんとに迷惑だと感じられたボランティアもいただろう。
私のことだって、不快感を持つ被災者はいるかもしれない。
でも、物事はすべて多角的なものだ。
風潮や噂に流されちゃいけない。
いろんな考え方や捉え方がある。
人間関係なんだもん。
私にしたって、どこか「やってあげる立場」っていう意識があったに違いない。
被災者から何も受取ってはいけないという気持ちはそこからきていたんだと思う。
でも、私はここに来てまだ数日なのに、石巻の人々やボランティアに来た人や自衛隊の人々にいろんなことを教えられた。
私がここに何かしたいと思って来たように、私が逆の立場になったらきっと私の元になにか手伝えることはありませんかと来てくれる人がいるだろう。
ボランティアをすることも受けることも、特別なことではない。
だって
みんな
『おたがいさま』
なんだから。

これは、そのお宅に咲いていた梅の花です。
お家の方と、縁側に座って眺めました。この日は春の到来を間近に感じさせる暖かい日でした。
2階の床まで水が来たので、辺りは一面泥だらけで、街にも瓦礫ばかり。
震災前日に「あと2、3日で咲くね」と家族で話していた梅の花が、塩水をかぶり、もう花はつけないだろうと思っていたら、それから3週間経って綺麗な花を咲かせた。
茶色一色の町の中で見たピンク色。
奥さんが「もうダメだと思ったけど、木ってほんとに強いわね」と言っていた。
3月11日の夜、ニュースで『町全体が壊滅したもよう。
死者は何百人になるか分からないとの情報が入ってきました。
町は孤立し、すべてが津波に流されたとの情報』
と伝えられた雄勝(おがつ)町。
テレビを見てたその時の私の衝撃はたぶん一生忘れないと思います。
その雄勝に、私たちの班から2名とピースボートのリーダーがボランティアとして初めて入りました。
その日は4月の3日か4日でしたが、自衛隊によってその前日にようやく雄勝への道路が仮復旧されたばかり。
それまでずっと、雪の降る寒い中、雄勝町の人達は自分達で自治を組み、空から降ろされる救援物資をたよりに必死に助け合って生活していたんです。
役所の人や消防の方々は、まだ瓦礫や土の中に埋まっている家族を探しに行きたい気持ちを押し殺し、職務優先で町の人々のために働いていました。
「本当は今すぐにでも探しにいってやりたい…!」
そういって泣いていました。
泣いたら失礼なのではないかと、泣かない決心をしていた私も泣きました。
もともと区の職員だった私にとって、公的な仕事に就くものの責任感や辛さも見にしみるように感じました。
下の2枚の写真は雄勝町のその時の様子です。
こんなことを書いたら気分を害する方もいるかもしれませんが、私は
「今ここに…今ここに…!目の前にまだたくさんの人が埋まっている…!」
と、ほんとうに実感として感じました。


何も出来ないし、もうどうしようもない。
家族を、大切な人を亡くした人の気持ちなんて分からない。
分かるなんてとても言えない。
大きすぎる。
悲しみが大きすぎる。
もうほんとにどうしようもない気持ちをもてあましました。
一度も信じたこと無い『神様』のようなものに祈りました。
その時はよく分からなかったけど、『神様』は空にいるあの神様じゃなくて、なんか、たぶん違うもの。
今だったらそれが『絆』とか『希望』とか『強さ』とか、そういう人の心の中にあるものなのかもしれないと思う。
炊き出しをした私達に
「ああ。あたたかいものを震災後初めて食べた。おいしい!おいしい!」
「これから毎日来てくれよ!」
「久々にみんなで笑ったな。。。」
と言ってくれる雄勝の方々。
私はひとりひとりになるべく心を込めて、そして私の人生でも会心の笑顔であることを心がけて、ひとつひとつの食事をお渡ししました。
おかぁさん方とは「今何が食べたいか」で結構盛り上がりました。
次にどんな食事や調理用具を持ってきたらいいかの調査でもあります。
材料と設備が整えば、自分達でも様々な食事を作ることが出来るようになります。
「ハンバーグいいわねぇ。やっぱり肉よね」
「んー私、スパゲッティ食べたいわ」
「あ!食べたい食べたい!」
「結構お好み焼きとかもいいわね」
と、こんなに大変な状況の中でも笑顔を見せてくれる。
ありがたい。
ありがたいし頼もしい。
強い。と思う。人って強い。
手伝いたい。何か少しでもできる事を。
前に向かって歩いている人ばかりじゃない。まだ誰にも会えないくらいの傷を心に抱えて、笑うことなんてとても出来ない人ももちろんたくさんいるだろう。
街は復興する。必ず。
でも、ほんとに難しいのは人の心が立ち直ることだと思う。
どん底にいる人はメディアの前に出てこない。
もちろん私のようなちょちょちょっと来るようなボランティアの前にも出てこない。
一人で深いとこで彷徨っている。
でも、力はあると信じたい。
『神様』はあると、信じたい。
このボランティアに行く前のピースボートの説明会で、取材に来ていたテレビ朝日の人たちに「密着させていただきたいのですが」と声を掛けられ、現地入りした日から3日間、行動を共にし、カメラを回していただきました。
それが報道ステーションで15分くらいの特集となり、4月7日に放映されました。
放映された日は私はまだ現地にいたので(しかも放映された時間のすぐあとに震度5強の余震があって、夜中大騒ぎになった
)タイムリーでは観なかったし、取材されていることも家族のほかには2・3人しか伝えてなかったので、出ててもちょっとで、気づく人はいないだろうくらいに考えてました。でも、考えていたよりはずっと映っていて(ちなみに年齢もバッチリ3回くらいテロップに

笑)放映のあとにいろんな人から電話やメールがありました。フェイスブックは実名なので、TVを観て下さったたくさんの見ず知らずの方から心強いメッセージをいただきました。
普段は交流のない知り合いからも「私も行きたいから持ち物のこととか教えてください!」と連絡が入りました。
心が熱くなりました。
みんなが東北を心配し、自分に出来ることを精一杯考え、やっている。
この時のディレクターさんや、同じチームだったみんな、チームは違ったけど知り合った人たち。
今でも飲みに行ったり、メールをしたりして繋がっています


この時の出会いがきっかけで、一緒に山に行くようになった人も

仕事をからめて、今現在も東北の復興のため現地で走り回っている友人もいます。
みんな繋がっていますね

私も、またこれから自分に出来ること、考えてみます!


あ、このあと一度東京に帰ってきてから、今度は2週間、また石巻に行っています。
その時は、私も一回目とは全然違う仕事をしているし、今回よりも復興色の強い、明るい記事が書けると思います

いつアップできるか分かりませんが、もしアップしたら読んで下さると嬉しいです\(^▽^)/

追記
ボランティア中はお風呂に入れないのはもちろんなのですが、私はこの石巻から東京に着いたその足でそのまま丹沢のキャンプに合流したので、次の日お家に帰るまでなんと9日間もお風呂に入りませんでした

もはやただのドM。
山の縦走でも最高3日くらいなので、これはダントツの新記録。
結果、お風呂なんて毎日入るもんじゃない。ということが判明(笑)
それから、キャンプで食べたお肉のありがたかったこと、ありがたかったこと。
コンビニはもう天国のよう!!
石巻から東京に帰る前日は、帰ったら何を食べたいかで2時間くらい盛り上がった。
結果、食事は美味しい物を毎日食べたい。ということが判明(笑)

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も大好きなので
、次の日に親族で法事を兼ねて温泉へ。




















