スピリチュアルではよく「自由」「あなたらしく」というワードが出てきます。
  

これらのスピリチュアルワードはとても解釈が難しい言葉だな、と思います。
  

かつての私もそうでしたが、クライアントさん達もまた、このワードを理由に「〈怖い〉を乗り越えてチャレンジすべきこと」「本当に大切なこと」から逃避して、ラクでカンタンな余計なことをやり始めてしまうからです。 



 
「逃避」をおしまいにして、本来の自分としての生き方を学ぶのがスピリチュアルなのに、これはすごく残念です。
 
 
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村上春樹さんの「職業としての小説家」という本の中で不登校について書かれている箇所があります。
  
 

不登校支援について書かれた文章ですが、自由な村上さんの考え方、生き方が書かれたものだと私は感じました。



 
その箇所を要約すると…
  

「個(子ども)」と「共同体(学校)」の間に「ゆるやかな中間地域」あるいは「個の回復スペース」を作ればよい。それは、なるべく手作りで、小さく。そこで、あらゆる可能性を試し、うまくいきそうなものが出てきたら、それを叩き台(モデル)にして発展させていけばいい。


 


 
これを読みながら、村上さんのこの考え方が「自由」というものの本質ではないか?と私は思ったのです。

 
失敗など気にせずにあらゆる可能性をトライできることが自由なのではないか、と。
  

最初は小さく、シンプルに。
 
 
逆に言えば、失敗を恐れ、「本当に大切なこと」「本当の意味であなたらしいこと」から目を背け、苦しむことが不自由なのではないか。
  

けれど、本来、失敗が当然で、そのたくさんの失敗の中から一つか二つ、きらめくものが見つかる、という前提で生きられたら、それは自由な生き方と言えるのではないか。
  

身体が不自由とか、今、経済的に不自由とか、そういうことは問題ではなく、失敗を恐れて現実逃避をする心がいちばん苦しく、不自由なのではないか。
 
 
私はこの気づきを、私自身にも、クライアントさん達にも、子供達にも、また今苦しみの中にいる人がいたらその人達にも伝えたいと思いました。

 
たくさんの失敗の中に、一つか二つのきらめきがあるんだよ。
 
 
失敗は恥ずかしいことでも、あなたの価値を落とすものでもないんだよ。
  

それは失敗ですらなく、人が成長するための当たり前でごく自然な営みなんだよ。 
 
  

 
近所の田んぼに水が張ってあった⭐️

いよいよ夏だな✨