ある特殊の家筋で、鬼の子孫が住む村があった。
八瀬村の山中には鬼ヶ洞という大きな窟屋があり、毎年7月15日をもって終わる1週間、村人たちは先祖の鬼の弔いとして、この鬼ヶ洞の口に向かい、鐘を鳴らし念仏供養をする。
八瀬の民は、比叡山御門跡が閻魔国から帰るとき、輿を担いで来た鬼の子孫、地獄からの帰化人である。
〈風習〉
★村人は自らをゲラといった。
外部の人も村人をゲラと呼んだ。
★年老いるまで男女とも、前髪を切らず頭の上で一まとめにしていた。
髷はゆわず髪をくくり、巻いていた。
★お歯黒
★女は外に働かせ、
男は内にいて飯を炊く。
男は祭の日には美しく化粧をし、帷子にいろいろな帯をたすきにかけ、
拝殿に入り「幸あれ、幸あれ」といって、声の限りに踊る
★比叡山の僧で、朝廷から牛車を許された者は、その車を八瀬の者に預け、牛を飼わせ、入洛のとき牛車に乗用するとき、八瀬の民を牛童とした。
★延暦寺座主登山のとき、
山門の大会に勅使参向のとき、
などは、常に6人の八瀬童子が山上に出没し、
天皇の、日吉山王行幸、八幡行幸、鞍馬行幸、伊勢行幸などは、
数十人の八瀬童子が参役。
後醍醐天皇山門行幸の御伴が、天皇忠節の初めであった。
その由緒をもって年貢は免税。
明治時代も毎年地租額に相当する金を宮内省から給与されている。
これに対して村の義務は、常に若干の人員を宮内省に仕人として出す(給与貰えます)、といった恵まれたものだった。