私が今年の1月から綴ったメモに、

芦原先生の事が綴られていましたので紹介します。


【芦原先生の出来事の時系列】


■昨年12月

ドラマ「セクシー田中さん」脚本家の相沢さんがインスタで、9~10話の脚本を書けなかった苦い経験を投稿。


「私が脚本を書いたのは1~8話。9、10を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします」


「今回の出来事は、ドラマ制作のありかた、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした。」


「この苦い経験を次に生かし、これからもがんばっていかねば」


「どうか今後同じことが二度と繰り返されませんように」


■1月26日

芦原先生はブログで9、10話の脚本を担当した経緯を説明する。

「枠にはまったキャラクターを変えないでください。」


「私が描いた『セクシー田中さん』の個性が消されてしまうなら、私はドラマ化を今からでもやめたい」


その理由も芦原先生は丁寧に説明し、

漫画に忠実に制作することをドラマ製作者側は同意していたのに、

実際は原作と脚本は違っていた。


修正を加えてもらうようドラマ製作者側にお願いし、8話までほぼ原作通り完成しましたが、その後も『漫画に忠実に』という条件は守られず、

「原作通りに脚本化していただける方に交代していただきたい」と要望をだすが、、

結局9、10話の脚本は芦原先生が担当。

漫画の〆切もあり、忙しい中脚本を書くことになり、不本意な部分もありました。とのこと。



■脚本家への攻撃がはじまる。


■1月28日

芦原先生は、Xで

「攻撃したかったわけじゃなくて、ごめんなさい」と投稿し行方不明に。


16時頃、関係者により大崎署に行方不明届けが出される。


■1月29日

栃木県日光市川治ダムにて、芦原先生は遺体で発見されました。


自宅で遺書が見つかり、遺書には行方をくらませた理由が書かれていました。


【問題の本質】

ドラマ製作スタッフと、

原作者・原作者側の小学舘をつなぐ窓口は、プロデューサーである。

プロデューサーは脚本の決定権を持ち、原作者の要望を聞きます。


★疑問

※芦田先生は直接プロデューサーと対峙する機会はあったのか?


※小学舘が芦田先生の代理として、ドラマ化する条件をプロデューサーに正確に伝えていたのか?伝わっていたのか?


※プロデューサーはドラマ制作スタッフ(脚本家)に、原作者側の条件を正確に伝えていたか?伝わっていたのか?


※原作者側(小学舘)は「条件通り脚本にしろ」と、数回日本テレビに申し入れるが、条件はなぜ守られなかったか?


※プロデューサーが、脚本家に原作通り書くように指示したのか?


※脚本チェックする時点で原作通りか、否かが解るが、プロデューサーは原作を知らなかったのか?


※プロデューサーは二枚舌だったか?


※金を出せば何してもいい、という考え方だったのか?


■問題は解決したのか?

あれから4か月。

宝塚のいじめ自殺問題のような訴訟は起きていないようだから、

家族は納得したのでしょう、、?

芦田先生、今は何を思うのか?

遺書に先生の本心が表現されていたのならば「わかってくれた感」はあるのでしょう。。


先生は、自分自身の表現によって人を攻撃させたことに対する責任を、自分自身で取った形だが、

その本心は、自分がまさか苛める側に立ってしまった結果になったことにまず怯え、そして耐えきれなかったからか。

先生は生きづらさを抱える人側を安心させたいような作品を描いていて、

まさか自分が苛めの旗振り役になった形となった衝撃が大きすぎ、

そこに追い討ち言葉を関係者から投げ掛けられ、背中を押したか。


表に出た言葉の、根っこにある根本感情を知るのは辛い。