■信西と美福門院の関係

鳥羽上皇は崩御し、

鳥羽に寵愛されていた美福門院こと、藤原得子は、鳥羽の財産(鳥羽領)の、ほぼ全てを相続した。

この財産はいずれは娘の八条院に相続する。それは八条院が生涯独身でいることが条件である。娘には幼い頃からそう教育してきた。


鳥羽がいなくなってから、政権を握りつつあったのは信西である。信西は下積みから苦労してここまで上り詰めた苦労人。

美福門院はそんな信西と、

自然に導かれるまま、、、

深い関係になった、、、

信西には皇族にはない荒々しさがある。

だけど、、、

彼にはそれ以上のものはない。

美福門院は常に醒めていた。


■仏と仏の評定

後白河天皇が即位して3年が過ぎた。

後白河天皇は息子の守仁の継なぎとして天皇に就いていた。

美福門院は信西に、守仁をそろそろ天皇にするように要求した。


美福門院という名も、信西という名も出家名である。

出家といっても形式的なだけで、

名前が変わるだけだが、、、

守仁を天皇にするための、美福門院と信西の協議を、この二人は「仏と仏の評定」と名付け、周囲に権威づけた。そうすることで守仁の存在を権威づけさせる狙いがあった。


■信用されない信西

守仁は二条天皇として即位した。

状況が変わっても、二条天皇自身と後白河上皇自身は普段通り、のんびりしていた。だがそれぞれの側近たち同士は、対立するようになる。

いや、、対立というか、、、

天皇臣下が、上皇臣下をバカにした。


二条天皇側には美福門院と、その縁戚関係者。それに膨大な財産がある。

しかし

後白河上皇の側近は、芸能に堪能である。だが実務は苦手で、そこは信西に頼るしかなかった。

だが、信西は美福門院とつながっていて、信用しきれない、、、


信西は政治には武力が必要ということで、平清盛を抜擢し、二人で政治運営するようになった。


■新しい人材配置

後白河上皇は、源義朝と連携している藤原信頼に賭けることにし、彼を昇進させ、源義朝も宮中軍馬管理担当者として仕えさせた。

ところが、二条側と後白河側のとりまきたちの対立は、以前にも増して激しくなる。源氏武士たちは血の気が多かったからだ。

だが「信西排除」という点では、

意見は一致した。


信西一門の政治のやり方は、四角四面の正しさで融通がきかない。それでいて自らの子には甘い。言っている事と、やっている事が違う。

誰もが信西排除を望むようになった。


平清盛はどちらにもつかず静観した。