得子は体仁親王を出産した。
次なる目標は、お決まりの
体仁親王立太子である。
これは難易度が高かった。
現在の天皇は崇徳天皇。
正妻璋子が産んだ崇徳天皇。。
天皇や上皇の子は、直接その両親が育てず「育て係」がいた。
だが体仁親王は崇徳と聖子皇后の養子にした。子のいない聖子は喜んで、
熱心に体仁を養育した。
これで、崇徳天皇の皇太子は、
体仁親王となる確率が上がった。
わざと皇位継承権利を複雑にしたのだ。
1140年崇徳の側室が親王を生んだ。
重仁親王である。聖子皇后は一瞬嫌な気分にはなったが、それよりも体仁親王がかわいくて、いっそう養育に熱心に取り組んだ。
そして崇徳天皇は父鳥羽上皇の指示通り、重仁親王を鳥羽上皇と得子の養子とした。
鳥羽は崇徳に譲位を勧めた。
「私のように天皇の後見として上皇となり、政治を司ってみないか?
それから、、次の天皇なんだけど、崇徳の養子の体仁親王だと法律で決められているんだよ」
崇徳天皇はおぼこくて「そうなん父ちゃん」と素直に言うことを聞いた。
崇徳天皇は譲位し、体仁天皇が近衛天皇として即位した。
崇徳天皇はおぼこいので得子は助かった。「ありがとう崇徳!」って気分だった。