■藤原頼長の最後の仕事
藤原忠実は二男の忠通から、
藤原氏長者を奪い、
屋敷を奪い、
それらを三男の頼長に与えた。
二人は忠通と絶縁した。
そして忠実の尽力により、
頼長を内覧の座に就かせると、
(忠通はその上司の摂関)
忠実は引退した。
しばらくして、近衛天皇が若くして崩御すると、忠通と藤原得子が推す、
後白河天皇が即位した。
■自作自演
★「近衛天皇の崩御は、藤原忠実・頼長父子の呪詛である」という噂を、忠通と得子が流す。
得子はその噂を鳥羽上皇に報告する。
という自作自演を行うと、
鳥羽上皇はまんまと騙され、
藤原頼長を内覧停止にした。
頼長は失脚した。
★藤原得子・藤原忠通・信西の謀略により、崇徳上皇・藤原忠実・頼長は、
謀反人に仕立てられた。冤罪である。
■藤原得子の戦略手腕
鳥羽上皇崩御す。
藤原得子は財産を増やすために、
卓越した戦略手腕を見せた
★まず平安京の武士全体動きを停止させ、
★続いて諸国に、後白河天皇命令が下される。「忠実・頼長父子が地方農民から兵を集めることを停止する。もしこれに従う者あれば処罰する」
★武士、兵の動きを停止させてから、
謀反人の財産を次々と没収していった。
■頼長失意の末に死亡
藤原忠実は高齢のため、戰には参加せず宇治にいたが、崇徳・頼長側の敗北を知り、奈良に逃れた。
重症をおった頼長は、命が尽きる前に、最後に父に対面したかった。
だが、忠実は頼長に対面すると、
頼長と共謀したとみなされてしまう。忠実は罪人になることを避けるため、対面を拒んだ。
頼長は失意の末に死亡した😭
■朝廷は藤原忠実・頼長の財産没収の範囲を定めた。
★忠実・頼長の所領没収
★協力した武士と悪僧の所領没収
★平等院没収
摂関家荘園は、忠実から忠通に譲渡することで、没収を免れる。
★摂関家は武力組織解体
★藤原氏長者任命権は天皇に
★所領についての決定権は天皇に
■終わったか、、、?
栄華を極めた藤原道長の願いは、
藤原家の弱体化でした。
道長は「藤原家のやり方って、おかしくね?」とかんじていて、
みずから栄華を極めることで、
志ある者に藤原家の変な政治に気づいて変えて欲しかったし、未来に藤原家弱体化革命が起きることを知っていた。
なぜなら彼は、、
藤原道長は、、
未来から来た織田信長だったのだから。過去と現在を行き来していたのだ。
しかし、弱体化しながらも、
藤原のつるは明治維新まで、
天皇にからみつくのです。